審判として大会支える

奄美市選抜(シャリンバイズ)―屋久島選抜戦で主審を務めた東さん

急逝した和田さんから声掛けられ「直接感謝伝えたかった」
徳之島町出身、東さん(東京都在住)
離島甲子園

 奄美大島で21日に開幕した「国土交通大臣杯第14回全国離島交流中学生野球大会(離島甲子園)」では、奄美市、龍郷町、瀬戸内町、宇検村の4会場で交流戦(敗者チーム同士が対戦)も含め3日間で計33試合が行われる。これらの試合を支えているのが、奄美市をはじめ全国から集まったボランティアによる審判員たち。徳之島町出身で東京都江東区在住の東(あずま)裕久さん(62)もその一人で、離島球児たちが元気にグラウンドを駆け巡る姿に「こんな機会をつくってもらって感謝でいっぱい」と笑顔で話した。

 大会には各チームの帯同審判員19人と奄美市など開催地の審判員12人の計31人がボランティアで参加し、1試合4人で主審と塁審を務めている。東さんは開催地の審判員団の1人として参加、22日は1回戦で3塁塁審、2回戦の奄美市選抜(シャリンバイズ)戦では主審を務めた。

 東さんは徳之島商工高校(現樟南第二高校)出身。同校では野球部に入部したものの「下手ですぐにやめてしまった」という。それでも「野球が大好きだった」と言い、上京後の27歳の頃にアマチュア審判として野球に携わるようになった。東京都高校野球連盟の公式審判員として甲子園の地区大会などの審判も務めたほか、大学野球の審判経験もある。

 退職後の今年1月、東京奄美会の集会に出席した際、「審判員として離島甲子園に参加しませんか」と声を掛けられたことがきっかけで、今回の参加が実現した。東さんに声を掛けたのは、当時市議で14日に急逝した奄美市住用町の和田霜析さん(享年49)だった。

 「和田さんとの出会いがなければ、ふるさとで審判をする機会も持てなかった。直接感謝を伝えようと思っていただけに残念」と和田さんの死を悼み、「奄美をはじめとする全国の離島の球児たちの夢でもある離島甲子園に携われることをうれしく思う。和田さんがつないでくれたふるさととの縁を大切に、これからも審判員として頑張っていきたい」と話した。