奄美市名瀬・くれないの塔

犠牲者の冥福を祈るとともに清掃作業が行われた、らんかん山くれないの塔(2日、奄美市名瀬)

事故の風化防止願い清掃活動
自衛隊機墜落から61年
3日、名瀬小で慰霊式

 奄美市名瀬に自衛隊機が墜落、13人が犠牲となった事故から61年になるのを前に2日、現場となったらんかん山の慰霊碑「くれないの塔」で清掃作業が行われた。主催する(公財)奄美大島青年会議所(JC)ほか、自衛隊、大島病院、地元隊友会や建設団体など約35人が参加。事故の風化を防ごうと粛々と清掃が進められた。

 1962年9月3日、海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V(対潜哨戒機)が妊婦への輸血用血液を輸送するため奄美大島に向かったが、らんかん山に墜落。乗組員12人、地元住民1人が死亡した。63年、JCが中心となり「くれないの塔」を建立。奄美市は95年から同日を「献血の日」と制定している。

 この日の作業は、朝8時半頃から開始。参加者自ら用意した用具で慰霊碑周辺、各石碑が丁寧に水拭きされたほか、慰霊碑に続く舗装路や側溝なども清掃された。

 JCの吉岡昭典さん(34)は「例年、慰霊祭に合わせ清掃活動しているが、事故の風化防止が目的。今後も各活動を通し、事故の記憶を後世に伝えたい」と話した。

 3日は、名瀬小学校の体育館で慰霊式が行われ、安田壮平奄美市長、海自第一航空群司令など関係者約50人が参列を予定している。