全国復帰っ子オンライン交流会

日本復帰を果たした4地域が「第2回全国復帰っ子オンライン交流会」で意見交換した(2日、奄美市名瀬)

「日本復帰」継承へ
奄美ほか3地域と意見交換
伝承団体など参加

奄美群島が日本復帰70周年(12月25日)を迎えるにあたり2日、復帰を経験した4地域による「第2回全国復帰っ子オンライン交流会」が開かれた。Web会議システムを通し奄美、沖縄、トカラ列島(十島村)、小笠原諸島4地域の各復帰伝承団体などが参加。奄美と復帰時期が異なった歴史的背景、各復帰運動の経緯など情報を共有し交流が図られた。

第1回は昨年4月、沖縄の日本復帰50周年を前に、1972年生まれ(通称・復帰っ子)の有志らによる「沖縄県復帰っ子連絡協議会」(前泊美紀代表)が主催。今回、奄美復帰伝承6団体などと共催し、奄美会場のアマホームPLAZA(同市名瀬)には約30人が参加した。

基調報告で53年生まれの「奄美の復帰っ子」、安原てつ子さん(奄美群島の日本復帰を伝承する会副会長)は、「2・2宣言」(46年)に触れ、行政分離とともに「奄美の日本復帰では、沖縄で奄美出身者との心の分離が起きた」と指摘。「先人に学び、国境・地理・人種・経済的格差をなくすSDGsの目標に向け歩みたい」と語った。

奄美から各地域への質問では、「なぜ復帰時期が異なったか」に対し、前泊代表は「沖縄は米軍基地の存在で復帰が遅れた」と回答。「奄美では復帰運動の呼称は日本復帰だが別の呼称か」については「日本、本土復帰など未統一だが、奄美と同じような日本復帰の歌が歌われた記録がある」(十島村役場)と答えた。

小笠原諸島の有志グループ、森田裕一さんは「琉球弧の島々と異なり1946年の小笠原は旧島民が帰島できず、本土での生活を余儀なくされた」とし、「復帰」ではなく「帰郷」だったと説明した。

奄美の日本復帰に関する質問に答えた「伝承する会」事務局長、花井恒三さん(76)は「今回は日本復帰70周年の奄美を中心に意見を交した。次回は(1952年に日本復帰した)十島村に合わせて開催できれば」と話した。