徳之島平和コンサート

「水晶の歌声」で観客を魅了、母国への支援も呼び掛けた「ウクライナの歌姫」ナターシャ・グジーさん=1日夜、徳之島町文化会館

 

先人の労苦をしのぶ朗読劇と「日本復帰の歌」の合唱も披露された
 

 

復帰運動〝点火者〟しのぶ
「ウクライナの歌姫」が魅了

 

 【徳之島】奄美群島日本復帰70周年記念「徳之島平和コンサート~歌は平和を運ぶ~」(徳之島町文化会館主催)が1日夜、同館ホールであった。「歌と語りで綴(つづ)る~もう1人の復帰運動の父、為山道則氏ものがたり~」、「ウクライナの歌姫ナターシャ・グジー~水晶の歌声とパンドゥーラの可憐(かれん)な響き~」の2部構成。観客約450人を魅了しながら、無血運動〝点火者〟の存在と世界平和もアピールした。

 第1部は奄美群島内に先駆けて1949(昭和24)年頃、宮崎県内から復帰運動ののろしを上げたとされる為山道則氏(徳之島亀津南区出身)に焦点を当てた。竹田百笑(ももえ)さん(天城町岡前小5年)のピアノ演奏による「日本復帰の歌」で開演。祖母の富田保子さん(徳之島町花徳)や朗読サークルメンバーたちが語り部となった。

 徳之島での青年団長当時「奄美民族を救う道は日本復帰しかない」と決意した為山氏。命懸けの密航で県知事に協力を求めたもの、GHQ(連合国軍総司令部)を警戒した消極姿勢に失望。亀津出身者が多く住む宮崎市の旧大島町(現・波島地区)を訪ねて青年団員らに協力を訴えた。

 舞台では、50年2月下旬に約3200人の署名を添えて宮崎県議会に提出した陳情が全会一致で採択され、奄美全市町村長・議長・青年団長らに「祖国復帰に立ち上がれ、われわれは歴史的にも法的にも日本人である。(50年)3月1日を期し日本復帰署名運動を開始する」との檄(げき)文を発送したことなどを朗読劇で伝え、徳之島混声合唱団や徳之島高校音楽部も合唱を交えた。

 第2部に登場のナターシャさんは、6歳の時に父親が勤務していたチェルノブイリ原発の爆発事故(86年4月)によりわずか3・5㌔の地点で被爆。避難生活を続ける中で民俗楽器バンドゥーラに魅せられ、8歳の頃から専門的に学んだ。96年に同演奏家、民族音楽団メンバーとして来日し、00年から日本語学校で学びながら音楽活動を開始した。美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたパンドゥーラの可憐な響きで日本人を魅了し続け、今年で23年目。16年に外務大臣表彰も受けた。

 清楚(せいそ)な民族衣装と流麗な日本語、高い演奏技術と澄みきった歌声で、披露した飲み込まれた母国ウクライナの民謡「キエフの鳥の歌」を皮切りに、母国民たちの叫びも連想させる「アベマリア(カッチーニ)」、徳之島高音楽部との「ふるさと」など7曲を演奏。「ウクライナには長期の支援が必要。そのためウクライナの文化を紹介して支援につながるプロジェクトにも取り組んでいます」ともアピールしていた。

 共演した徳之島高音楽部部長の椛山陽菜詩さん(2年)は「緊張したが大変貴重な体験に。島では生で鑑賞する機会が少ないがとってもきれいな歌声に感動。一緒に歌ってウクライナの現状を多くの人に知ってもらい、支援につながったらいいと思った」と話していた。