富山丸慰霊祭の継続協力に感謝

長年の富山丸戦没者慰霊祭への協力に感謝、徳之島町にふるさと納税1千万円を寄せた桑島正道さん(左)=21日、徳之島町役場

 

 

 

45歳で応召し「富山丸」乗船直前の父・正義さん(右側・正道さん)
 

 

徳之島町に1千万円寄せる
遺族の桑島さん(香川県)

 

 【徳之島】太平洋戦争中に沖縄への増援部隊を輸送中、徳之島町亀徳沖で撃沈され、3500人以上が犠牲となった輸送船富山丸。その戦没者遺族会・香川県会長の桑島正道さん(86)=東かがわ市在住=が、長年の慰霊祭協力に感謝して徳之島町にふるさと納税1千万円を寄せた。町側は「慰霊祭継続に活用したい」と桑島さんに感謝状を贈ってたたえた。

 輸送船富山丸(7500㌧級)は1944(昭和19)年6月29日、増援部隊や燃料・補給物資を満載して亀徳沖約3㌔を南下中、米潜水艦の魚雷攻撃で轟沈した。過密状態で乗船させられていた旅団将兵や乗組員が船と運命を共にした。海上に逃れた人たちは、流出したガソリンドラム缶の爆発炎上による火炎地獄の犠牲になった。船舶関係では客船タイタニック号(1912年4月)や戦艦大和・旧第二艦隊(45年4月)などと並ぶ第1級の大惨事とされている。

 その悲劇の海を望む徳之島町亀徳(現在・なごみの岬公園)に1964年6月、全国有数の結束力を誇った全国富山丸遺族会の育ての親でもある三角光雄氏(故人)が慰霊碑を建立。以来毎年、地元徳之島町の協力で慰霊祭を挙行、今年で69年間直接交流。来年は悲劇から80周年を迎える。

 桑島さん(兵庫県西宮市出身)は、香川県内で学校長、東かがわ市教育長を務め21年4月に瑞宝双光章を受章。富山丸遺族会では香川県会長を務め、徳之島町亀徳「なごみの岬」での慰霊祭には75(昭和50)年頃以降、コロナ禍期間を除き毎年来島し参拝を続けている。

 桑島さんによると、西宮市の国民学校2年生の時に父・正義さん(当時45歳)が応召、沖縄守備隊員として富山丸に乗船する。「45歳にも召集令状とは日本はいったい?」と戦況を不安視していたのを覚えている。亀徳沖で撃沈される直前、父は甲板にいたが、将校用の軍刀を取りに船内に戻ったのが運命の岐路、最後の姿になった―との情報を聞かされたという。

 徳之島町へのふるさと納税は、同制度発足当初から毎年5万~10万円ずつ続けていた。今回一挙1千万円にした思いは「慰霊祭に毎年同伴した妻(昨年12月死去)など家族と、長い間お世話になった徳之島町に何かをしたいと話し合っていた。今回思い切って私の気持ちが元気なうちにと」。引き続き同等の高額寄付も検討するという。

 高岡秀規町長は思い出を交えながら感謝状を贈って感謝。使途については「ご誠意に応えるため、富山丸慰霊祭をずっと続けていくための予算にも有効活用したい」と話した。