伊仙町「日本復帰記念祭」

泉芳朗氏の詩「旗を振る」朗読もあった日本復帰記念祭(円内右・泉宏比古さん、左・武居月子さん)=24日、伊仙町ほーらい館


進駐軍の政治顧問コルトン氏邸宅前(中央・泉氏、右端・盛郷重廣氏)=伊仙町歴史民俗資料館提供

同郷の英雄2氏に焦点
泉芳朗、盛郷重廣両氏 記念講演や演劇など多彩
25日、復帰70年

 【徳之島】25日の「復帰記念の日」を前に24日、伊仙町の奄美群島日本復帰70周年記念事業「日本復帰記念祭」(同実行委員会主催)が同町ほーらい館ホールであった。同町面縄出身の「復帰運動の父」泉芳朗氏と同郷の「もう一人の貢献者」もクローズアップ。青少年らの詩の朗読や演劇、新知見も交えた町制作記念動画の発表、芳朗氏親族の記念講演などで交流し、先人の魂を受け継ぐ地域づくりへ決意を新たにした。

 延べ約500人が来場。第1部は司会進行役の中学生らが「日本復帰70周年の節目の1年間、先人たちが計り知れない命懸けの努力で復帰がかなったことを改めて学んだ。復帰運動の先頭に立った泉芳朗先生が伊仙町出身であることを誇りに思う」などとアピール。芳朗氏の出身地の伝統芸能「上面縄ションマイカ」で開会した。

 実行委員長の大久保明町長は、当時のマーフィー駐日米国大使と泉氏との交渉の場を設定した面縄出身の実業家盛郷重廣氏(1907年~74年)の存在が明らかになり、伊仙町の先人2氏が無血の日本復帰運動の悲願達成に深く関わったことを強調。「その独立不羈(ふき)の精神を受け継ぎ、伊仙町のさらなる発展を」と協力を求めた。

 盛郷氏の次女・武居月子さん(87)=長野県=はあいさつで、復帰協議長(名瀬市長)の泉氏が父に宛てた直筆の書簡(のちに「盛郷重廣宛泉芳朗書簡」として町有形文化財指定)が伊仙町に寄贈された経緯を紹介。「父は常に人のために役立ちたいと頑張る人だった。没後半世紀を経て、故郷の皆様の心に留めていただけただけで、父の人生は報われた」とお礼を述べた。

 記念動画『泉芳朗の情熱が起こした奇跡~奄美群島日本復帰の鍵を紐(ひも)解くメモ~』も視聴。泉氏が厳しい群島の実情、全島一括復帰を訴えたマーフィ駐日大使との交渉など新知見も紹介。町から町内小中学校へ同動画教材の贈呈式もあった。

 記念講演には芳朗氏のおいの泉宏比古さん(65)=神奈川県=が「伯父・泉芳朗~私が思うその人間像~」と題して登壇。家では静かにたばこをくゆらせているが、来客があると大変饒舌(じょうぜつ)に話し、お酒が入るとシマ唄を披露したエピソードも語った。実家の屋根裏を整理して発見した段ボールの中に芳朗氏の詩・小説、市長日記の原稿起こしなどが発見されたことも紹介した。

 芳朗氏が復帰運動に果たした3要素に、①平和主義(大正デモクラシーの父・延宏氏の影響)②民意の結集(文芸の普及・短歌指導)③情報収集(盛郷書簡・島内外の新聞スクラップ)―を強調。奄美大島日本復帰協議会議長として群島民一丸の復帰運動に導くことができた背景に「文芸活動を通じた文化的意識の普及」「自我の確立」「他者への理解」「民意の結集」「平和主義」があったと考察した。

 阿権小児童らによる芳朗氏の詩「旗を振る」の朗読、同町目手久出身のソプラノ歌手・入佐結佳子さんのステージ、町教委の特別授業発表、町内児童生徒らの演劇「英雄たちの生まれた町」などでも盛り上がった。