東大先端研「徳之島国際ユースキャンプ」

公開シンポジウムが行われた「徳之島国際ユースキャンプ」(円内右・趙氏、左・セルマさん)=1月31日、伊仙町

戦争の記憶伝承、世界平和へ
公開シンポで相互理解

【徳之島】東京大学先端科学技術研究センター創発戦略研究オープンラボ(先端研)主催の「徳之島国際ユースキャンプ」3日目は1月31日、伊仙町ほーらい館でシンポジウム「復帰について島の外から考える 国境地帯の戦中・戦後―ボスニアと済州島の経験から―」を開催した。第二世界大戦後の欧州最悪となったボスニア紛争と女性活動、旧日本軍が構築した韓国・済州(チェジュ)島の軍用飛行場の実態などの調査報告も交え、世界平和への伝承の意義を考えた。

公開シンポジウムには同キャンプ生一行に住民を交え約40人が来場。午前の部はサラエボ大学大学院・教務アシスタントのセルマ・アリスパヒッチさんが「紛争復興後の女性たちの役割」、午後は済州大学校名誉教授の趙誠倫(チョウ・ションユン)氏(69)が「済州島のアルトウル飛行場と戦争の記憶」をテーマにそれぞれ講演した。

セルマさんは、ナショナリズムで分断されて3年半以上にわたって戦闘が続き、住民の大虐殺事件も合わせ死者20万人、難民・避難民200万人が発生したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年4月―95年12月)からの復興に命を懸けた女性たちの活動を取り上げた。セルビア人、クロアチア人、ムスリム人の男たちが争う中、3民族の女性たちは水面下で手を取り、喪服姿で命を張って反戦・平和運動を続けたと報告し、戦争の残虐さに向き合っていく必要性を訴えた。

趙氏は、旧日本海軍が1933年から「済州島・飛行機不時着場」として造成に着手後、農耕地を強制買収し、住民の強制動員などで増設した歴史や、日中戦争(37年7月―45年9月)で南京への渡洋爆撃の発進基地化したことを解説。〝世界初の空襲〟となった南京、重慶への爆撃では、「日本政府はいつも軍事目標にのみ爆弾投下と発表。実際には不正確な投下で、都市無差別爆撃だった」と述べた。

戦争の記憶の伝承では、韓国戦争(朝鮮戦争=50年6月―53年7月休戦)のさなか、アルトゥル飛行場の日本軍弾薬庫跡(米軍が爆破)で起きた韓国軍兵士による住民243人の虐殺(射殺・死体放置)事件にも触れた。

徳之島における戦艦大和戦没者慰霊塔(伊仙町犬田布)や特攻平和祈念碑(天城町浅間)に関しては、「平和へのシンボル、戦争の記憶を伝えるもの」と共感を寄せる一方、「当時の陸軍飛行場整備時などに犠牲となった一般住民の慰霊にどう発展させていくのかが課題だ」と感想を述べた。

両講師にはキャンプ参加の学生や住民たちから多様な視点からの質問や感想が寄せられた。2月1日は、地元の高校生たちとの交流会も予定している。