島役人の墓、多くは山川石

奄美大島に流通する山川石と墓石としての特徴を、調査を基に報告した松﨑大嗣さんの講演


実際の山川石が持参され、興味深さそうに手にする受講者


山川石の墓石利用(島津家墓所)

島津本家とそん色ない石質の高さ 貿易通して奄美大島と関係性
指宿市考古博物館 調査成果報告

 奄美市立奄美博物館主催の2023年度第9回講座が10日、同館研修室であった。指宿市考古博物館 時遊館(じゆうかん)COCOはしむれでは今年度、(公財)髙梨学術奨励基金若手研究助成を受けて考古学による山川石研究に取り組んでおり、石材として使用された同石調査を地元だけでなく島嶼部の奄美大島でも実施。これまでの調査で「与人(よひと)」「横目」など島役人(地元出身)を務めた人々の墓の多くは、山川石で作られていることを報告した。

 講師を務めたのは同館学芸員の松﨑大嗣(ひろつぐ)さん。「奄美大島に広がる黄色い墓石の謎~海を渡った指宿の山川石~」を演題にしたが、墓石としての使用で知られているものの歴史的背景は不明な点が多いこともあり、関心の高さから研修室定員(40人)を超える受講者となった。

 松﨑さんによると山川石は、江戸時代、「鹿児島藩港」として中国・琉球交易など南西諸島の貿易で栄えた山川港の南側で産出する黄色い石。正式名称は「福元火砕岩類」で、噴火によってできた火砕岩(さまざまな火山噴出物が固まってできた岩石)。柔らかく加工が容易で、風化しにくいことから石材として最適という。同様に黄色く墓石として使われた石に池田石があるが、火山の作用で生成された石ではなく、調査では識別するため帯磁(たいじ)率計を使用。帯磁率は鉄鉱物の量に比例することから、火山岩が含まれているかで見分けることができる。帯磁率計により、山川石でも採石した場所で鉄鉱物を多く含んだA類、あまり含まないB類に分類でき、「B類は気泡や不純物が多く、A類は少ない」とした。

 「14世紀頃から使われた」とみられる山川石を鹿児島藩の藩主・島津氏も墓として利用(石質がいいA類)。島津宗家(本家)では、角(つの)がついた墓である宝篋印塔(ほうきょういんとう)や丸い石をもった五輪塔(ごりんとう)で使用されており、なかでも18代家久の時に完成した隅飾(すみかざり)が施された「福昌寺型宝篋印塔」が五輪塔、宝篋印塔に続き墓石階層性で最上位にランクされるという。

 奄美大島での山川石調査は伊家(奄美市笠利町)、住家(同住用町)、芝家(瀬戸内町)、林家(加計呂麻島)の各墓地で実施。帯磁率計を使用したところ「黄色い石は全て山川石だった」として、各墓の特徴を説明。▽伊家=地輪部分に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と記された五輪塔があり、こうした五輪塔は山川地域で特に集中しており、字体も共通していることから「確実に山川で製作されたものと考察できる」▽住家=島津重豪(しげひで)墓とほぼ同じ高さ(約2㍍)と大きい。家紋がある。縁起のいい吉祥の装飾(鶴、松竹梅など)がふんだんに施されている▽芝家=18世紀代とみられる宝篋印塔(鹿児島藩の中でも最上位に位置づけられる)を建てており、「離島にあることに驚き」。大きな五輪塔。全てに家紋。中国の故事のモチーフ「孟宗(もうそう)」が彫られ、故事に詳しい人の存在▽林家=石廟(せきびょう)と蓮華台(れんげだい)を組み合わせたものが多い。家紋がある。屋根の上にさらに屋根を施した神社建築などで見られる「千鳥破風(ちどりはふ)」を装飾。山川石墓では現在のところ、林家だけの特徴。子どもの墓も丁寧に作り弔う(財力がある証拠)―を挙げた。

 帯磁率計を使った調査の結果、奄美大島の伊家・住家・芝家とも帯磁率が高く、島津宗家とそん色ないとして松﨑さんは「今回の調査で最大の謎」とした。

 こうした特徴から奄美大島における山川石墓石のまとめとして①現在の調査段階では全て山川石製②島役人を務めた人々の墓の多くは山川石で作られている③付加属性(林家の千鳥破風装飾など)や家紋を持つものが多く、特注品として納められた可能性④奄美大島に山川石製の墓石が多く流通するのは、山川港が南西諸島との貿易の窓口として機能していたからであり、手に入りやすく、かつ藩主が用いている墓石というステータス(社会的地位)もあったのではないかーと報告。素材を取り寄せるのではなく、全て山川で作ったものを運んだと考察できるという。松﨑さんは「あくまでも考古学的手法からの調査。今後も資料類を蓄積したい」と述べた。

 会場からは龍郷町安木屋場にある今井権現神社に通じる石段の石材に関する問い合わせがあり、松崎さんは「調査により山川石で間違いない」と答えた。