鹿児島県瀬戸内町・鎌田愛人町長インタビュー【前編】

鎌田愛人瀬戸内町長(2023年12月4日撮影)

災害と有事「正しく恐れる」
自衛隊誘致、離島と国民保護

 2020年以降、新型コロナウイルスの感染拡大に際しメディアやネット上では、風評による判断への「警鐘」とした言葉「正しく恐れる」が広く使われた。物理学者、随筆家の寺田寅彦(1878―1935年)が随筆「小爆発二件」(35年)で記した「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい―」が基とされ、東日本大震災発生時にもこの言葉があった。「正しい知識、科学的な根拠で恐れよ」とする意味のほか、「自然を正しく真っ当に畏れる」ことをしない日本人への「戒め」とする解釈もある。いずれにせよ、防災学者でもあった寺田の言葉は台風、梅雨前線豪雨に見舞われやすい奄美でも、心にとどめておきたい箴言(しんげん)の一つと言えるかもしれない。

 寺田はほかにも「天災と国防」(34年)と題した随筆で、以下の言葉を残している。「日本のような特殊な天災の敵を四面に控えた国では、陸軍、海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然である」。ここで寺田が指摘する「科学的国防」が災害派遣を指すならば、現在、海上保安庁や消防庁などがその役割を担い、「安全保障」を含む国防であれば防衛省、自衛隊が唯一「兼務」で果たしている。寺田が描いた国防を担うあるべき組織の姿が、90年後の日本でほぼ実現しているかのように見える。

 奄美群島に配備される陸海空3自衛隊は、奄美市、瀬戸内町、知名町の3市町5か所。瀬戸内町への配備が最も古く、62年に海上自衛隊奄美基地分遣隊が発足。2019年3月には、奄美市の陸上自衛隊奄美駐屯地とともに瀬戸内分屯地が開設された。誘致した「瀬戸内町自衛隊基地対策推進協議会」会長、鎌田愛人瀬戸内町長(60)は引き続き、奄美基地の艦艇配備と基地拡充、港湾施設の整備を要望するとともに「国民の命、平和を守る自衛隊に敬意と感謝を」と町民に呼び掛ける。

 災害と有事を「正しく恐れる」を主題に、瀬戸内町と自衛隊、誘致活動と安全保障の取り組みについて話を聞いた。(西直人)

 

奄美大島(手前)と加計呂麻島(奥)との間に望む瀬戸内町「大島海峡」。多く残された軍事施設跡は国指定史跡「奄美大島要塞跡」として今後平和教育の場を目指す

理由は「領海侵入」

 ―瀬戸内町は自衛隊関連の誘致活動が活発な印象がある。

「2004年11月、中国海軍の原子力潜水艦が沖縄県沖で日本の領海に侵入したことが、大きなきっかけ。それまでは、防災面で必要な災害派遣の組織という認識で、町でも1990年に古仁屋高丘で発生した土砂災害で十数人の住民が亡くなった際、海自奄美基地分遣隊がご遺体の収容に尽力したという経緯はあった」

 ―具体的な誘致活動はいつからか。

「2005年12月に、町議18人中11人で海上自衛隊の拡充、陸上自衛隊の誘致を目指す議員連盟を結成した。2011年には行政や経済団体、隊友会などが参加する町自衛隊基地対策推進協議会を立ち上げ、陸自の誘致を防衛省に要望した」
 
 ―誘致に当たり中国軍の領海侵入、災害対策のほか理由はあったか。

「2004年12月、町は政府が全国で行った市町村合併(平成の大合併)の協議(大島地区法定協議会)から離脱し、当時は人口問題、税収の課題から、誘致による振興面への期待もあった。ほかにも、当時の政府与党幹部が、大島海峡への海自補給基地の拠点整備を示唆し、改めて国が南西防衛を重視していることを知ったことも大きい」(続く)