名瀬在住与路郷友会

名瀬在住与路郷友会の総会に出席した与路島出身者ら

日本復帰運動の与路島住民の署名簿コピーに目を通す総会出席者

4年ぶりに総会・敬老祝賀会
青年団や子どもら70年前の復帰運動で寄付金

瀬戸内町・与路島出身者らでつくる名瀬在住与路郷友会の2024年度総会・敬老祝賀会が25日、奄美市名瀬の奄美観光ホテルであり、会員ら41人が出席して4年ぶりに旧交を温めた。会場では、奄美群島の日本復帰運動で多くの島民が復帰請願の署名をしたことや、青年団などが中心となって寄付金を集め、奄美大島日本復帰協議会に寄付したことなどが紹介された。同郷友会の喜入博一会長(71)は「島の先人たちの行動力と功績を出身者として誇りに思う。与路で生まれ育った縁と絆を今後も深めていきたい」などと語った。

喜入会長は昨年、市立奄美博物館で開催された奄美群島日本復帰70周年記念企画展で展示された復帰請願の署名簿の中に、14歳以上の島民697人の署名があることを知り、「奄美大島から遠く離れた与路で、これだけ多くの人が復帰運動に参加したことに感動した」と話した。

その後、与路島の先人たちがどんな思いで復帰運動に関わったか興味を持ち、島に関わる史料などを調べた。結果、1951年8月から52年3月まで計6回にわたり、2万3800円の寄付金が復帰協議会に贈られたことなどが分かったという。

寄付金には、子どもたちが塩づくりや農作業などをして稼いだ800円も含まれていたといい、喜入会長は「教員の月給が200~300円の時代。米軍統治下、貧しい暮らしの中でも、志を持って行動した先人の行動力と団結力に敬意を表したい」と語った。

総会に出席した奄美市名瀬佐大熊町の森岡安頼さん(85)は、当時14歳で署名簿に記名した。「記名したことは忘れていたが、名簿には昔お世話になった人など知っている名前がたくさんあって懐かしかった。復帰運動を近くで見ることはできなかったが、みんなの思いが一つになって復帰できたと思うと本当に良かった」と話した。

今回、初めて総会に出席した参加者最高齢の同市名瀬朝仁、林ヒロエさん(90)は、2年前に40年以上暮らした大阪府から奄美に戻ってきた。復帰当時20歳だった林さんは「既に与路を離れ名瀬に住んでいたので、復帰運動の熱気がすごかったのを覚えている。あれから70年が過ぎ、またこうしてふるさとの仲間と昔話ができることを喜びたい」と話した。

総会では、現在、同島の住民が56人であることなども報告された。島民を代表して出席した信島豊武区長(67)は「出身者の皆さんが与路のことを忘れずにいてくれることが大変ありがたい。島民としても励みになります」などと語った。