第2次修復工事を完了し、立入り規制も解除された戦艦大和慰霊塔=3月31日、伊仙町犬田布岬
【徳之島】世界平和のシンボルを次世代に――。伊仙町は、建立から55年(初修復後14年)を経て老朽化が著しい同町犬田布岬の「戦艦大和を旗艦とする第二艦隊戦没将士慰霊塔(戦艦大和慰霊塔)」の第2次修復工事を完了。周辺への立入禁止措置も約3年ぶり解除した。7日には連続57回目の慰霊祭(同実行委員会主催)が営まれる。
戦艦大和(7万2809㌧)を旗艦とする旧日本海軍第二艦隊10隻は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月7日、沖縄戦線への海上特攻出撃の途上、米軍機動艦隊艦載機の猛攻を受けて大和をはじめ巡洋艦、駆逐艦など6隻が沈没。乗組員や将兵合わせ3737人が犠牲となった。
沈没地点は当初、乗組員だった吉田満氏(故人)の著書「戦艦大和の最期」で、〈徳之島ノ西方二十海里ノ洋上、「大和」轟沈シテ〉とされた。1968(昭和43)年に当時の迫水久恒参院議員を発起人に慰霊塔建立の全国募金活動を展開。現在鹿児島大名誉教授の中村晋也氏(文化勲章受章、彫刻家)の設計で犬田布岬(奄美群島国立公園)に建立。鉄筋コンクリ―ト造で高さは大和の艦橋と同じ24㍍。高松宮殿下ご揮毫も碑文題字も設置、第1回慰霊祭が始まった。
その後、民間団体の人工衛星や潜水艇探査で沈没地点は東シナ海の男女群島近くと判明。地元犬田布地区や町側は「英霊の御霊(みたま)たちの合同慰霊地に変わりはない」や「戦争の悲惨さを後世に伝え、世界平和希求のシンボルに」などとして慰霊祭を継続。悪天候やコロナ禍の縮小はあったが一度も中止されてない。
一方では、強い潮風害にさらされ続ける立地上のリスクと経年劣化が進行。2010年度に募金協力も得て初の修復工事を実施。その後再び鉄筋の腐食(爆裂)に伴うコンクリート片の剥離(はくり)落下が始まり、町側は約3年前から再び周辺への立入りを規制していた。
今回の修復工事費は約8700万円を投じた。同修復プロジェクトとして自治体クラウドファンディング(GCF)で「世界では戦争が始まるなど、厳しい状況にある。今こそ慰霊塔を(再)修復し、世界平和のシンボルとして次世代に」(大久保明町長)とアピールし昨年8月1日~10月29日まで募金。指定寄付も含め約2668万円(3月上旬現在)のほかは町一般財源を充てた。
工事では、慰霊塔本体の劣化部分やぜい弱部分の補修・補強・さび止めなどを実施。本体の7か所には腐食膨張(爆裂)の察知センサーも内蔵したという。
第57回慰霊祭は例年通り7日午後1時40分から計画。今年も自衛隊音楽隊の演奏や慰霊飛行(F-15戦闘機)も予定。夜は、郷友会関係者なども交えた同修復記念交流会(ほーらい館)も計画している。