第57回戦艦大和慰霊祭

第2次修復が実現した戦艦大和慰霊塔の前であった第57回慰霊祭=7日、伊仙町犬田布岬
白菊を献花して冥福と恒久平和も祈る参列者ら

「平和のシンボル」修復
変わらぬ鎮魂・恒久平和祈る

【徳之島】第57回「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」(同実行委員会主催)は7日、伊仙町のクラウドファンディングなど募金で約14年ぶりの第2次修復工事が行われた犬田布岬の戦没者慰霊塔前であった。太平洋戦争末期に沖縄戦線への海上特攻の途上に犠牲となった戦没将士3737柱の冥福と恒久平和を祈った。

戦艦大和(7万2809㌧)を旗艦とする旧日本海軍第二艦隊の計10隻は1945(昭和20)年4月6日、沖縄に向け山口県徳山港沖を出撃。鹿児島の西南西約3㌔を南下中の同7日、米軍機動艦隊・艦載機の猛攻を受け、大和をはじめ巡洋艦、駆逐艦など計6隻が沈没。終戦後の1968(昭和43)年、元軍人らの寄付で当時「沈没地点に最短」とされた犬田布岬に慰霊塔(鉄筋コンクリート造り、高さは大和の艦橋と同じ24㍍)が建立され、以来毎年「平和希求のシンボル」と位置付けて町中心の実行委主催で慰霊祭を継続している。

しかし、潮風害による経年劣化が進行。募金協力も得て2010年度に初の修復工事が実施したが、再び鉄筋の腐食・コンクリート片の剥離などにより、約3年前から周辺立ち入りを禁止。同町は行政主体のクラウドファンディング(GCF)や指定寄付への協力を呼び掛け、計約5800万円を調達した。修復工事費(約8700万円)の不足分は町財源で補う。

表面塗装でよみがえった慰霊塔前であった慰霊祭には、島内外の来賓や自衛隊関係者など約200人が参列。一般住民や観光客ら約200人が見守った。航空自衛隊那覇基地南西航空音楽隊(20人)が「軍艦行進曲」などを演奏し、地元の西犬田布女性連の慰霊の舞い「ああ犬田布岬」で開式。大和の沈没時間(午後2時23分)に合わせて黙とうをささげた。予定した戦闘機の慰霊飛行は那覇基地方面の悪天候で中止した。

大久保明町長はGCFなど経緯を報告。慰霊の言葉で「祖国の発展は尊い犠牲の上に築かれた。令和の時代となって戦争体験者は少なくなったが、世界に目を向けるといまだに争いが絶えず、平穏な日常を脅かす状況が続く。戦争の悲惨さを次世代へ継承し、恒久平和の実現に向けて努力したい」と述べた。

空自那覇基地・第9航空団の鈴木繁直司令(空将補)は、北朝鮮の弾道ミサイル発射や中国の活動活発化など防衛を取り巻く情勢に触れ、「戦後最も厳しい状況に直面している。自衛隊も部隊の戦力を強化し、日米同盟による抑止力の向上、同志国との連携強化に傾注し、み霊の遺志を受け継ぎ、いかなる状況でも果敢に挑戦し国防を担う」などと強い決意を示した。

愛知県から帰省し参列した高額寄付者(100万円)の1人・福留秀次さん(65)=同町犬田布出身=は「犬田布岬や大和慰霊塔は思い出の原点の場所。名古屋では会社を経営しているが、ふるさとにはいつか何かを恩返ししたいと思っていた。慰霊塔がきれいになった姿を見て本当に良かった。平和を願う気持ちは一つ。慰霊塔をずっと守ってほしい」と話した。

集落を挙げて慰霊祭に協力を続ける西犬田布地区の水本孝仁区長(68)は「地元としてもGCF募金を提案していた。平和を願うこれだけの建造物を未来に残すという選択肢以外にはない。お金は掛るがその思いを持続してほしい」と話した。

慰霊祭後は同町ほーらい館で、関西徳州会など郷友会関係者約70人も参加して慰霊塔修復記念交流会もあった。