徳之島町・第61回富山丸戦没者慰霊祭

全国遺族団72人と地元合わせ約140人が参加した第61回「富山丸戦没者慰霊祭」=17日、徳之島町亀徳

富山丸3724人の悲劇から80年
鎮魂と平和祈る  初のひ孫世代も

【徳之島】太平洋戦争終盤の1944(昭和19)年6月、沖縄増援のため航行中の徳之島町亀徳沖で撃沈され、将兵・乗組員3724人が犠牲となった輸送船富山丸の悲劇から80年―ー。その第61回「富山丸戦没者慰霊祭」が17日、初のひ孫世代3人を含む全国の遺族関係者72人を迎えて同町亀徳「なごみの岬」公園であった。青い海に眠る父や祖父に涙で近況も報告し、鎮魂と恒久平和を祈った。

輸送船「富山丸」(7500㌧級)は、制海権を米軍に握られた44年6月29日、増援部隊と燃料など物資を満載して亀徳沖約3㌔を南下中に、米潜水艦の魚雷攻撃で轟沈した。船舶関係ではタイタニック号(1912年4月)や戦艦大和・第二艦隊(45年4月)などと並ぶ〝第1級の惨事〟とされる。九死に一生を得た生存隊員 だった三角光雄氏(故人)が64年6月、徳之島町の協力を得て悲劇の海を望む亀徳の丘(現・なごみの岬公園)に慰霊碑を建立。全国屈指の連携を誇る遺族会も発足し、地元町当局や商工会など関係団体、地元住民たちの協力で慰霊祭を続けている。

「八十回忌」と重なった今年の慰霊祭には関東地区と8県(高知・徳島・香川・愛媛・大分・熊本・宮崎・鹿児島)から参加。小学6年生ら初の「ひ孫世代」3人(10代2人、20代1人)の姿も。会場では町商工会女性部員たちが「おかえりなさい」の横断幕と湯茶で歓迎するなど、地元関係者合わせ約140人が参列。徳之島混声合唱団の合唱「蛍」で開式した。

高岡秀規町長は祭祀(し)で「遺族の皆さまと戦争の悲惨さを後世に伝え、平和の尊さを子々孫々まで継承。平穏と豊かな日本、平和な世界を築くことをお誓いします」。遺族参拝団代表の桑島正道さん(87)=香川県=は「44歳で富山丸に乗った父の倍の歳になった。大阪駅から黒い煙の列車で発った父の姿を今も忘れない。日本がウクライナになってはならない。あと10年は〝平和の原点〟のこの岬公園に来ます」とも誓った。

各県遺族会ごとに献花し、各代表が残された家族たちの近況も報告しながら、涙で「私たちも高齢になったが、毎年この慰霊祭を心待ちにしながら生きていきます。海原から見守り下さい」などと呼び掛けた。

全国遺族会育ての親でもある故三角氏の顕彰祭と、同園地内の「疎開船武州丸遭難の碑」献花(ひ孫世代3人)も実施。遺族団を代表して川南廣展さん(88)=東京都=が慰霊祭の歴史を振り返りながら町当局や関係団体、住民たちに感謝を述べた。

18日午後4時からは瀬戸内町森山公園で「富山丸戦没者古仁屋供養祭」も営まれる。