「テーリャドゥリ」復活

髙田さんから「テーリャドゥリ」を受け取る昇さんと大山さんの妹の栄ハルさん(87)

早速鶏小屋に移され、他の鶏たちとエサをついばむ姿が見られた

笠利の平集落の鶏「テーリャドゥリ」沖縄で増やし贈呈
「奄美の目玉商品に」

 かつては庭先を走り回り、生活を共にしていた鶏の姿を目にすることは少なくなった。沖縄の「アグー豚」を有名にした農業生産法人(有)今帰仁アグーの髙田勝さん(63)と、かつて鶏飯に使われていたという「シマドリ」を飼育していた奄美市笠利町平の大山農場の大山幸良さん(95)が出会って、昔ながらのシマドリを復活させ奄美の目玉にしようとする取り組みが2021年にスタート。18日、よみがえった鶏の贈呈式が同農場であった。

 大山さんの鶏を見た髙田さんはシマドリに可能性を見つけた。生産性を目的として改良された鶏ではなく、原初的で雑種の強みを持った鶏だった。野放しで飼われていた在来種は強い。シマドリは、多様な形質になることが多いが、「テーリャドゥリはがいぼう特徴が比較的一定、価値を高めることにもつながるのでは。この先、きっと有望な品種になる」と読んだ。

 当時、平集落に4羽しかいなかった鶏を預かった。大山さんは二つ返事で、髙田さんの申し入れを受け入れたという。髙田さんは、沖縄の自社農園でテーリャドゥリを増やし、昔鶏の性質に近づけていった。育つのにも時間がかかる、卵が大きいわけではない。しかし、気候変動、食料難に強い。これから先の有事には、その能力が発揮できる鶏と考えられた。

 「生産性など経済的な効率優先ではなく、売り物にしない生産物があった。鶏は熱の出た時、体力の弱っている時などに口にする『くすりぐい』だった。大山さんとはお金の尺度ではない大切なものを分かり合えた」と髙田さん。

 かつて平地区は鶏所(とりどころ)とよばれるほど、集落に鶏がたくさんいた。「その平から発信できる商品になってほしい」との思いが形になって、奄美に戻した。

 この日は1歳3か月の雄鶏1羽と、8か月の雌鶏2羽が髙田さんから、大山さんの娘の昇ツタ子さん(70)に手渡された。贈呈式には、集落の人たちも駆け付け、よみがえった昔ながらの鶏に見入った。

 沖縄への輸送の手助けをした濱田弘好さん(80)さんは、「昔の鶏にそっくり。そういうことができるとは思っていなかった」と、見事な赤い羽根の鶏に満足気だった。

 今回は、「奄美島鶏」「テーリャドゥリ」の商標登録も携えての帰島で、髙田さんは「奄美の人たちが話し合いながら飼い育てていってほしい。奄美の目玉商品になるのでは」と期待している。