伝える 大島海峡・戦争遺跡 =下=

古仁屋高校「まちづくり研究所」が制作した西古見砲台跡の模型


日本考古学協会高校生ポスターセッションで、国史跡となった奄美大島要塞跡を活用した集落活性化策について発表する部員(瀬戸内町教育委員会提供)

まちづくり研、調査・分析
「先人が残した貴重な遺産」

 戦争遺跡に関心を持ち平和の大切さを実感するようになった二人。

 鼎さんは「多くの戦争遺跡が地元にあるのに、あまり知られていない。廃虚という認識さえある。それだけに地元の高校生が関心を示し実際に足を運び、戦争遺跡の存在を知るようになったのは心強い」と語る。期待するのが高校生からさらに語り継がれること。「われわれ専門家が子どもたちに説明するより、戦争遺跡について学んだ高校生が中学生、小学生へ説明(歴史的背景、機能、役割など)した方がより身近なものとして伝わる。瀬戸内町は海や山などの自然だけでなく、『文化財もすごい』と子どもたちが感じるようになるのではないか。戦争遺跡の文化財としての価値、重要性を古仁屋高校と協力しながら地域に広げていきたい」

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 町役場の支援を受け「高校生視点で地域課題の解決策を考える(探究活動)」を当初の目的に発足した古仁屋高校(米澤瑞代校長)のまちづくり研究所。部活動に昇格する前の同好会だった昨年度から顧問を務めるのが立神倫史教諭(51)だ。社会科(専門は日本史)を担当し赴任して3年目。前任は県教育庁文化財課で県内の戦争遺跡にも関わり、瀬戸内町の奄美大島要塞跡の国史跡化にあたっては地元・町教委と連携しながら国との交渉、予算関係(補助金)の手続きなど事務的作業のほか、鼎さんが担当した報告書作成のサポートも行った。大学で考古学を学び遺跡の発掘調査とともに、出土遺物の科学分析にも携わった立神教諭。県立埋蔵文化財センター等で6年間勤務した経験もある。

 前任から関わった瀬戸内町の戦争遺跡。まちづくり研究所の昨年度の活動では、国史跡となった奄美大島要塞跡を構成する三つの遺跡のうち二つが存在する西方地区の活性化をテーマにした。「西方地区の2遺跡のうち特に西古見砲台跡は観測所など砲台に関連する一連の施設が残っている。遺跡を生かした地域づくりのアイデアとして部員たちからは『西古見チップス』の商品づくりなどが挙がった」(立神教諭)

 活性化策を探るため現場に行き、鼎さんから遺跡についての説明を受け学んだ生徒たち。今後の活動では遺跡の調査研究も掲げている。部活動となった今年度、まちづくり研究所は①産学連携(イベントや商品開発など)②高大連携(戦争遺跡の調査研究で東京大学や鹿児島大学法文学部と連携)―の二つの活動を進めている。ただし部員を明確に分けるのではなく、部員一人一人の関心・興味を尊重しながら「みんなで協力し幅広く取り組んでいる。それが小規模校(生徒数87人)の良さではないか」(立神教諭)

 戦争遺跡の調査研究に向けて方法の学びは始まっている。古仁屋高校は奄美大島要塞司令部の跡地だ。学校近くでの測量やレーダー調査・発掘を体験。また高校のインターンシップ(就業体験)では鼎さんが勤務する町埋蔵文化財センターを部員が選択、鼎さんが3日間、戦争遺跡の調査方法など指導した。

 こうした活動は今年5月、千葉県であった一般社団法人日本考古学協会の高校生ポスターセッションでの発表(瀬戸内町にある戦争遺跡の特徴、活用しての活性化策として観光案内に向けた取り組み、地元カフェでの関連メニュー・商品開発など)、7月にあった東京大学大気海洋研究所主催の夏季集中サイエンスキャンプに参加しての久慈白糖工場跡から出土したレンガの分析体験に結び付いた。

 立神教諭は「教員や研究者などのサポートもあり自分たちで活動する、自分たちで地域の課題を見つけるという姿勢が育ちつつある。探究、調査に対し積極的に自主的に取り組むようになってきた」と部員の成長を指摘する。

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 埋蔵文化財の専門家として県内各地にある戦争遺跡の現状を目にしてきた立神教諭。他との比較から「瀬戸内町の戦争遺跡は群れとして残り、稀有な存在でとても珍しい。先人たちが残した貴重な遺産であり、地域の財産。国史跡となった三つの遺跡だけでなく他の遺跡も国史跡化を目指し、同じように保護の網を広げてほしい。それによって国の補助金を活用して遺跡の保全が図られる」と提案する。

 国史跡になるほど戦争の歴史を雄弁に物語る瀬戸内町の遺跡群。戦争体験者が奄美でも減少している中、未来に向けて語り継ぐ役割を果たす。歴史が伝える大島海峡の軍港としての重要性は、地政学上から現在も変わらないかもしれない。それが南西諸島の防衛力強化の一環として瀬戸内町での自衛隊関連施設の整備に表れているのではないか。安全保障環境の変化に基づいた軍備増強が戦争と背中合わせとならないよう、平和の在り方を考えていくためにも瀬戸内町にある戦争遺跡を見つめ直していきたい。

(徳島一蔵)