「環境文化」生かす

東シナ海に張り出すような造形美がある国直集落のシンボル・宮古崎

急峻な峠越えの交通難所が解消されることで利便性が増すトンネル、開通まで秒読み


集落の前面に白砂が残る海が広がる

大和村国直集落 宮古崎トンネル 3月末までに供用開始

 昨年10月、日本政策投資銀行南九州支店と日本経済研究所は、「世界自然遺産登録をきっかけとした奄美が目指す方向性」と題する調査レポートを発表した。この中で提言しているのが「環境文化」の推進だ。環境文化を維持しながら効果的に生かし、「奄美全体の活性化を図る取り組みが重要」としている。

 ところで環境文化とは何だろう。「自然と調和した人々の暮らし」としており、世界自然遺産に登録された奄美大島や徳之島は人の生活圏と森林や海が近接し、人々は自然と密接にかかわりを持ちながら生活してきた。人と自然のかかわりの中で形成された風景や風土、そんな環境文化を生かした取り組みの一つとしてレポートでは大和村の国直集落を紹介。「交流促進、移住定住促進策により集落の活力を維持している」と評価し、集落にあるNPO法人による地域資源を活用した体験プログラムが骨格になっていることを報告している。

 集落単位での観光・交流拡大は、現在進められている公共事業がさらに弾みをつけるかもしれない。今年3月末までの供用開始に向け整備が進められている「宮古崎トンネル」だ。峠越えという交通難所が解消され、奄美市名瀬と大和村の入口がトンネルを介した平坦な道路で結ばれることで利便性が向上する。それによって人や物の流れが増し地域経済が発展すると期待されている。ただし懸念もある。便利さの享受は、集落の固有性とも言える環境文化に変化を与えないだろうか。国直集落から「新しいうねり」を見つめてみた。(徳島一蔵)

 県が奄美市名瀬根瀬部と大和村国直間で整備を進めている主要地方道名瀬瀬戸内線「宮古崎トンネル」(延長2316㍍)。奄美大島の県道を通るトンネルとしては島内最長になり、開通すると現在の急峻な峠越え(全長5・2㌔、標高160㍍)が解消される。同間では豪雨などにより土砂崩れ・通行止めが発生してきただけに、トンネル整備は安全確保につながる。

 開通後は現道に比べて距離で約2㌔、自動車の移動時間で約5分間短縮。防災面に加えて日常生活の利便性向上、救急搬送のスムーズ化、そして大和村への観光客の入り込み増加など多方面での効果が見込まれている。それだけにトンネルの早期利用が待たれているが、供用開始時期について昨年の県議会9月定例会で塩田康一知事は「本年度内の供用開始を予定している」との見通しを示した。

 年度内は今年3月末まで。大島支庁建設課の安藤崇課長は「まだ時期(供用開始の)は決まっていないが、年度内を目指して日曜などの休日も工事を進めている」と説明する。総延長約2・9㌔のバイパスのうち、トンネル本体工事は終了。トンネル内のコンクリート舗装、照明設備、車両用防護柵、反射材など残る工事が進められている。

 開通まで秒読み。「奄美大島の観光振興や地域の活性化にも大きく貢献する」(塩田知事)と期待されているが、大和村側の入口でトンネル名にもなっている観光地・宮古崎がある国直集落では歓迎の一方で、不安の声もある。

 

入り込み増 期待と不安
集落の秩序

区長に就任して10年に達し、NPO法人TAMASUの副代表でもある村上恵子さん


集落独自に定めた「ローカル・ルール」。暮らしやすく、秩序ある生活の根幹となっている


アダンが繁茂する海辺の風景


昔ながらのフクギ並木が残る風景

「住民との関わりを」
「ローカル・ルール」守る前提 避けたい、開発による観光地化
集落リスペクトで一体感

 国直集落の区長を務める村上恵子さん(67)。区長の任期は2年。現在5期目で10年に達した。集落には53世帯約110人が暮らす。最近20年間で大和村の人口が約4割減少する中、国直集落では100人台を維持しており、他集落のような急激な減少は見られない。急減の歯止め策となっているのが「集落単位での交流人口拡大」だ。集落の若手住民が中心となり組織したNPO法人TAMASU(たます)が推進役を果たしている。

 先人から受け継いだ精神を大切に、地域住民の幸せやコミュニティを守りながら地域の魅力発信につながる事業を運営するTAMASU代表は中村修さん(53)だが、区長の村上さんは補佐する副代表でもある。NPO立ち上げに当たり中村さんから相談を受けた間柄だ。

 「国直のシンボルである宮古崎を生かした集落独自のイベントを行いたい。そのためには役場に勤務しながらの活動は難しい。NPO法人を立ち上げたい」という相談だった。最初のイベントは、当時、中村さんが団長だった青壮年団主催で開催した「宮古崎つつじウォーク」。SNSなどを使ったTAMASUの積極的な情報発信により、宮古崎はNHK大河ドラマ「西郷どん」のオープニングロケ地の一つに選ばれた。全国に広く知られたことで、「つつじウォーク」参加者は500人近くに及ぶこともあるが、最初はわずか32人でスタートした。

 継続開催に向けて村上さんが今でも印象的に覚えていることがある。イベントは宮古崎までウォ―キングすると同時に、岬に広がるリュウキュウチクの笹原で激減したタイワンヤマツツジ(ツツジ科)の苗の植樹を目的にしている。「修はツツジ植樹を継続していくため、自分の庭で挿し木を植えて発根させ、苗を増やしていた。宮古崎の自然・景観再生に向けた自ら率先しての取り組み、この子ならできると思った」。

 発足後、現在までの中村さんを中心としたTAMASUの活動・実績は、村上さんの予想通りだ。

 宮古崎トンネル開通を目前に控えて気になる動きがあるという。「不動産業者などによる土地探し、購入先を求める動きが活発化している。私の自宅を訪ねる業者もいた。集落内の土地を購入し自宅を建てるなどにより、どういう人が入ってくるかが心配。集落に滞在している人なら簡単に土地を手放さないが、本土などに住んでいる人は地元に戻ることはないとして先祖の土地を高く売りたいと値段優先で判断するかもしれない。大和村のこと、国直のことを考えて判断してほしい」。

 少子高齢化が進む中、国直集落の人口を支えるのが移住者の存在だ。美しい白い砂浜が残る海辺、フクギ並木など昔ながらのシマの風景が保全されていることから、それに魅力を感じ「訪れるだけでなく暮らしたい」として本土出身者が移住。さらに地元出身のUターン者の中には、村内の他集落出身なのに国直を希望して移り住む人もいる。こうした移住者を受け入れるに当たり区長として村上さんが心掛けていることがある。

 「集落民一人ひとりが支え合って暮らしているだけに、住民との関わりを持つ人が来てほしい。地元の住民と関わることを拒絶し、Iターン者だけのグループをつくるようなことはやめてもらいたい」。移住者に働きかけているのが集落に存在する団体(婦人会、青壮年団、老人クラブ)への加入。「人を知ることによって居心地が良くなる。せっかく国直に移住してきたのに、周囲と交流できないという寂しい思いはさせたくない」。団体への加入、若い人などは理解するだろうか。「いずれかの団体に属し、そこで集落住民との交流を持ち顔見知りになり、いろんな意見を聞くことは必ず自分自身に役に立つ。何か困りごとが出てきた時、同じ団体に所属している人が手を差し伸べ相談に乗り協力し、助けてくれる。それが国直の良さ」。

 村上さんが区長としての姿勢で常に持ち続けている「分け隔てなく接し、小さなことでも相談できる雰囲気づくり」は集落の人々の姿勢でもある。
 暮らしやすく、秩序ある集落の根幹とも言えるのが集落独自に定めた「ローカル・ルール」だ。7項目あり、▽毎月第3日曜日は集落美化の日▽午後10時以降の花火や音響は禁止▽キャンプは区長に届け出を▽水上バイクのマリンレジャーは禁止▽集落内は時速20㌔▽飲酒後の遊泳禁止▽海上ではライフジャケット着用―という内容。

 「このローカル・ルールを理解し、賛同し実行する人でないと困る。集落としてコントロールできなくなってしまう。世界自然遺産登録に続き、トンネル開通で利便性が向上すると観光客など集落を訪れる人が増えるだろう。不動産業者の出入りが示すように土地を購入しての開発計画、移住希望者もさらに増えるかもしれない。集落の現在の景観・風土を守る、ローカル・ルールを守る、これを前提にしないと国直の良さが崩れてしまう」。村上さんは語った。

 TAMASU代表の中村さんも外部資本による集落内の開発を警戒する。「国直同様、フクギ並木が観光スポットの沖縄本島北部・備瀬集落は急速に観光地化され、土地の値段が6倍に上昇するなどバブルの状態にある。こうした開発による観光地化を避けたい」。

 集落内での交流人口拡大を可能にしているのが、「食」「宿泊」「アクティビティ(活動)」三つの融合だ。いずれの機能も集落内に存在する。「このコンテンツをさらに磨き上げたい。本土の人々から見て遠い所でも魅力があれば訪れるだけに、磨き上げにより質の高いサービスを提供していけば何度も訪れてもらえる。目指すのはロングステイとリピーター。長期滞在により国直でゆっくりとのんびり過ごしてもらい、集落の人と家族のように交流してほしい」。

 そのためにも観光客を受け入れる地元の在り方が重要になる。トンネル開通で名瀬への通勤圏内となり、便利さから集落への転入者が増える可能性がある。民間による住宅整備も進むのではないか。これからの転入者が、現在の集落民と同じ気持ちで観光客を迎えることができるか。中村さんは「集落のことをリスペクトし、地域コミュニティに基づいた住民の一体感が将来にわたっても築けるかが大事になる」と語る。TAMASUが進める観光事業を今後も継続していくためにも岐路を迎えるかもしれない。

 

シマに戻る


高校卒業後、東京に上り就職、「大好きな国直」に戻りTAMASUスタッフになった才原文哉さん


シマの素材などを使った洋食メニューづくりに挑む才原さん

集落全員が家族
みんな笑顔に 「料理っていいなあ」
バンガロー宿泊者に料理提供 洋食化、シマの食材に関心

 TAMASUのスタッフとして2018年に加わった才原文哉さん(23)。「国直の魅力は人の良さ、自然そして浜辺から見える夕日。集落民全員が家族のようなもの。みんながお父さん、お母さん、おじ、おばだと思って小さな頃から育ってきた」。

 才原さんの進路を決定づけた思い出がある。国直集落では夕方になると浜辺に人々が集う。夕日を眺めた後、持ち寄られた料理にみんなで舌鼓を打つ。夏場は大会に備えた舟こぎ練習の後、打ち上げの場と化す。才原さんは小学3、4年生の頃、父親に連れられて浜辺に行き、以来、その雰囲気に染まった。
 「大人に混じって子どもも料理を味わった。毎日、夕方になると浜に行き、そこが夕食の場だった。とても楽しかった。舟こぎ練習後は、バーベキューでイノシシの肉も振る舞われた。料理を前にみんな笑顔になる。料理っていいなあと思った」。自ら作りたい、そんな思いから奄美高校の家政科に進学。卒業後は東京の飲食店に就職した。

 日本橋や神田などに店舗があるワインバルで、才原さんはフレンチやイタリアンといった洋食全般の調理を担当した。店の営業時間は夕方5時から朝4時まで、午後には仕込みのため店に入らなければならない。一人で調理を担当することも多く、オーダーが止まらない人気店だったため、休憩できるのは仕込みの時だけだった。「休憩といっても立ちながら。ふーっと息を吐く程度で、ずっと働きっぱなしだった」。

 洋食全般を自ら調理し提供できる腕前まで上達した才原さん。「いずれは大好きな国直に戻り働きたい」という思いは、中村さんからの声掛けが決定的となり帰郷を決断、TAMASUでの就労に迷いはなかった。

 新しく加わったスタッフとして当初は生まれ育ち、隅々まで知り尽くしている国直の海を観光客に案内するマリンガイドや、SUP(サップ)のインストラクターを担当。TAMASUがフォレストポリスの指定管理者になったことで、現在はバンガロー宿泊者への料理提供を担当している。「東京修行」の成果を実践できるようになった。

 新型コロナウイルス感染症拡大により営業ができない状態が続いたが、再開後は自慢の腕を振るっている。野外で提供する料理はバーベキューだが、才原さんは一工夫。蒸して味付けしたうえでボリュームたっぷりの骨付き肉、スペインの小皿料理であるアヒージョ(オリーブオイルとニンニクで食材を煮込んだもの)も。管理棟部分にピザ窯を開設する計画もある。「恵子ネエ(村上区長)の所にピザ窯があり、文哉にピザを作らせて窯で焼いたところ、熱々の出来立てはこれまでにないおいしさだった。ぜひ窯を設けて、フォレスト内で味わえるようにしたい」(中村さん)。

 才原さんは地元の食材にも目を向ける。「料理の味付けでは特産のスモモを材料にしたシロップの活用、バーベキュー用の野菜は無人販売に並ぶシマ野菜も使っている。『福元ダイコン』やタンカンなど、ここ(フォレストポリスがある福元盆地)はおいしい食材ができるだけに使いたい。『山に行けば他では味わえないような、おいしいバーベキューが食べられる』という評判が広がるよう目指したい」。才原さんは目を輝かせた。

 TAMASUが観光旅行関係のモニターツアーを受け入れた際、才原さんは地元の食材などを使っての洋食を振る舞った。ヒエン浜に自生するボタンボウフウ(長命草)、国直の海でとれたイセエビなどを材料にグラタン、パエリアなどを提供したところ大好評だったという。

 フォレストでは週5日勤務。バンガロー宿泊者への食事提供のほか、掃除や草刈りといった管理作業もこなす。休日も料理のことが頭を離れない。奄美市名瀬の飲食店街・屋仁川に出向き、知り合いの洋食店で学ぶ。「ブタのロース肉を材料に自家製ソーセージをお店で提供しており、いいなあと思った。技術を学び習得し、自家製のものを提供できるよう頑張る」。

 調理師として夢が広がる才原さん。トンネル開通は、どう映るだろう。「トンネルを通って国直には、たくさんの人が訪れるだろう。でも集落内が人や車であふれるようになっては困る。車での通行では、集落内で事故発生の不安がある。ローカルルール(集落内は時速20㌔で運転)を守ってもらえるだろうか。かなりのスピードで集落内を通行する車を見たことがある。小さな子どもたち、じいちゃんやばあちゃんが心配。都会から戻ってきて安心でき、とても居心地が良かった今ののどかな国直がずっと続いてほしい。人の良さ、一人ひとりのつながり、これからも変わってほしくない」。才原さんは力を込めた。

 整備された公共施設が住民から歓迎されなくては、多額の税金投入が無駄になってしまう。国直集落の根底にある自然と調和した人々の暮らし「環境文化」は、バトンが渡されるように未来にも引き継がれなければならない。そのためにもトンネル開通による利便性を追い求めるだけでは、「外」からの出入りの活発化で、「内」にある集落本来の姿が崩れ失われてしまう。バランスを保ちながらコントロールへ。公共施設整備がもたらす社会環境の変化を、区長を中心に集落一体で受け止めることで、環境文化が揺るぎないものになるだろう。

 

移住者


国直集落に移り住み周辺の自然と一体化したようなカフェを営む竹下宏太郎さん、佳代子さん夫妻


コンテナを改修、木材の取り入れが素朴さとぬくもりを伝えている

トンネル開通後の「旧道活用したい」
「健全な不便さ」求める

 国直集落の宮古崎側、目の前には海が広がる海岸沿いにコンテナを改装した海の家のような建物がある。店名が記された黄色の看板が印象的だ。カフェ「Bee Lunch(ビーランチ)」。営むのは竹下宏太郎さん(54)、佳代子さん(54)夫妻。多国籍料理をメニューにしたカフェだが、ビールやハイボール、黒糖焼酎などドリンクメニューもあり、アルコールに合わせたつまみも準備、夜には居酒屋に変わる。

 東京都心で生まれ育った二人。宏太郎さんは振付師として活躍していたが、「ごみごみした都会は住みづらい」として伊豆大島へ。途中で東京に戻ることがあったものの、伊豆大島で8年間過ごした後、2015年に奄美大島へ移住した。

 「伊豆大島はコンビニもファストフード店もない。同じ島の奄美大島も何もないと思っていたら名瀬市街地の商業地化、にぎわいに驚いた」と宏太郎さん。一度も訪れたことがなく南の島への憧れだけで移住先として選択。ところが奄美に来てから宏太郎さんの祖父が喜界島の出身だとわかったという。「何も決めずに移住先として選び、一度見に行こうと足を運んだ。祖父との関係から、奄美での生活は偶然ではなく必然だったかもしれない」(宏太郎さん)。

 当初は奄美市住用町の和瀬集落で生活。地元の人との縁によって和瀬に住むことになったが、国直への転居も中村さんとの出会いがきっかけとなった。太平洋側の和瀬と東シナ海側の国直。環境に違いがあるように映る。宏太郎さんが首を振った。「和瀬、国直とも海と集落が連なっている。海と集落が、その間に設けられている道路によって分断されていない。それが奄美の他集落などと異なる点。海・集落がワンセットになっているのが流れをつくり、居心地の良さを生み出しているのではないか」。和瀬・国直とも道路は集落の背後だ。

 国直に移り住んで手掛けたのが中村さん所有のコンテナの改修。半年かけ宏太郎さんも職人と一緒に内装、外装工事に取り組み、床や天井などを木材で仕立てて店舗を完成。壁はコンテナが露出しているが、正面から見ると民家を改修したようだ。海辺にあるため風通しのよい空間も冬場になると冷たい季節風にさらされる。そこで屋台のように入り口をビニールで覆い風の入り込みを防いでいるほか、暖がとれるようストーブも置いている。「周辺には緑陰となる樹木もあるため、夏場は冷房がいらないほど涼しい。でも冬はね。国直を訪れる観光客だけでなく、集落の人が一年中集えるようにしたい」と二人は笑顔を見せた。

 「国直は他の集落に比べて若い人が多く、みんな動くのが早い。イベント開催ではみんなが協力してまとまって動きだす。また、みんなが家族のよう。子どもたちやお年寄りへの声掛け、子どもたちの気になる行動に対し普通にしかる・注意するのも新鮮だった。都会では考えられない。私たちのような他所から来た移住者に対しても集落の人々が気にかけてくれ、いろいろと相談に乗ってくれるのがうれしい。集落のこの雰囲気が変わらない限り住み続けていきたい」

 そんな二人はトンネル整備・開通をどう捉えているのだろう。「車両通行がトンネルに変わることで、現在の県道が旧道になり車が通らなくなることはチャンスだと思っている」と宏太郎さん。急峻な峠が続く現在の道路は、高い所から海原を見渡すことができ、何よりも国直のシンボルである宮古崎に通じる。「実は旧道好き。車を気にせず、自然と一体となって風景を楽しみながら歩ける。旧道沿いに飲食店を設けようかな」。

 都会暮らしで味わってきた、お金があれば何でも手に入れることができる便利さよりも、精神的な豊かさにつながる「健全な不便さ」を求めてきた二人。国直集落から宮古崎に通じる峠越えの道路が旧道になることは、不便さがもたらす魅力ある資源かもしれない。