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花井恒三さんインタビュー

花井恒三さんインタビュー

花井恒三さん

復帰運動「世界記憶遺産」に

花井恒三さんインタビュー

 奄美群島の日本復帰60周年で沸いた2013年も残すところ後数日。今年はシンポジウムや音楽祭など復帰関連イベントが群島内各地で開催された。「復帰記念の今年を総括してもらうなら、この人しかいない」と記者が勝手に決めて、“奄美の寅さん”こと花井恒三さん(66)に話を聞いてきた。

 ―花井さんは今年、あらゆる復帰関連行事に関わった。この1年をどう振り返るか。

 復帰40周年、50周年の時は旧名瀬市の職員で、行政側の実務責任者として復帰行事にかかわった。当時は行政が行政の予算で自ら(復帰行事を)執行するというスタンスだったが、60周年の今回は行政が予算を確保し、民間の自由な発想に委ねてあらゆる行事を行った。その結果、11月の記念式典も、「復帰の日」のメモリアルイベントも、大勢の人が集まり盛り上がった。

 奄美市だけでなく、群島内各地で多くの記念行事が開催され、青年団中心のワークショップや、民間団体による復帰の川柳など、今までにない新しい取り組みが多く生まれた。

 ―当時の復帰運動を知る世代の方たちが、「復帰60周年を単なる祭りで終わらせず、若い世代へ復帰運動を継承する意義ある年にしてほしい」と話していた。そうなっただろうか。

 25日の提灯行列もそうだったが、行政分離後の本土への密航など、命がけで海を渡った当時の人達に思いを重ね、白畑瞬君が、沖縄から奄美の島々をカヌーでの単独航海にチャレンジしたり、結人プロジェクトのメンバーが高千穂神社で断食したり、当時の再現が多く行われた。

 象徴的だったのは25日のかがり火点灯式。青年団の若者が裸足で高千穂神社からかがり火を運ぶ様子は、若者が主体的に復帰運動に関わった当時の様子を想起させた。若者の側も再現の実体験を通じて、当時の人々の思いの一端に触れられたのではないか。こうした取り組みはすごく良かったと思う。

 ―いくつかのシンポジウムでは、「当時の復帰運動の力を将来にどう結び付けていくか」もテーマに挙げられた。
 
 それについては、復帰関連イベントに向けた、ある若い団体の学習会の様子を見学した時に面白い話が出ていた。「自分達は何のために復帰運動を学ぶのか。当時を知るお年寄りの話を聞いて、それが何になるの」といった趣の若者の生の声だ。

 復帰運動は権利や自由を奪われた空間の中で、島の人達の横のつながりによって、その困難を突破したという歴史だ。若者が奄美の今後を担っていく上で壁にぶつかったり、迷ったりした時に、当時の先人達が成した復帰運動を知っておくことは必ず糧になる。これを私は「復帰の辞書をひく力をつける」と表現しているが、復帰運動を学ぶ最大の意義は、そこだと思う。

 ―現在抱える諸外国との領土問題と比較した時、奄美の日本復帰が、どれほど大きな出来事だったか想像できる。今回、日本復帰60周年を迎えた奄美を各メディアも大々的に報じたが、どう受け止めたか。

 私は復帰運動を「世界記憶遺産」にしてほしいと内心本気で思っている。断食祈願や、99・8%の郡民の署名運動など無血で、しかもわずか8年間で復帰を成し遂げたという世界でも類を見ない「ソフトパワー」の歴史は、現在の諸外国との課題と向き合っていく上でも、大きな日本の財産。関心が集まったのも良かったと思う。

 ―復帰70周年へ向けて、どのような課題が残っただろうか。

 その前に65周年を忘れてはいけない。今後は「復帰後の奄美」の検証に加え、奄美の復帰運動に国や鹿児島県がどう関わったか、また密貿易の拠点となったトカラ列島はどうか。奄美の復帰運動と沖縄の復帰運動の相違点など、今年あまり取り上げられなかった内容も含め、より多角的に、出来れば生の声で分かりやすく復帰運動が語られてほしい。
 (聞き手・牧 一郎)

(はない・こうぞう)奄美の日本復帰前の食糧難の時代や、復帰運動を知る人達から話を聞く生涯学習講座などを通じ、復帰運動を次世代に継承する活動に取り組む。これまでに延べ3千人から話を聞いたが、「毎回新しい発見がある」と語る。元奄美市職員。66歳。

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