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大島高 センバツ決定

大島高 センバツ決定

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校舎横広場で、喜びいっぱいに帽子を空へ投げる大高野球部員ら

「21世紀枠」で奄美初快挙 夢の甲子園に喜び

 第86回選抜高校野球(3月21日から12日間、阪神甲子園球場)の出場32校を決める選考委員会が24日、大阪市内であり、その内3校が選ばれる「21世紀枠」で九州代表校の県立大島高校の出場が決まった。春夏を通じて、奄美群島の高校が甲子園の土を踏むのは初めて。

 大島高校は2013年の春季・秋季の県大会において、神村学園、樟南高校など強豪校を破り、2期連続の4強入りを果たした。そして、12月には「21世紀枠」九州代表校に決定した。

 今回3校に選出されたのは、東日本地区から関東東京代表の都立小山台高校、西日本地区から近畿代表の和歌山県立海南高校。そして、残り1枠に7校から大島高校が選ばれ、甲子園への切符を手に入れた。県内離島からの甲子園出場も初めて。

 決定を受け、渡邉恵尋監督は「私たちにとっても夢の舞台なので、夢のような気持ちだった。同時に頑張るしかないと実感した」と決定の瞬間について語った。

 また、授業を受けながら決定を待っていた重原龍成主将は「決定を知るまで心臓がバクバクしていた。放送で正式に報告を聞いた時はうれしかった。目標の出場が叶い、うれしいが群島民のために一勝をあげたい」と喜びを語った。

 組み合わせ抽選会は3月14日、毎日新聞大阪本社である。

42年目に叶った悲願 「想い」胸に甲子園へ

 「残る鹿児島の『悲願』は離島からの甲子園だ!」

 昨年、尚志館が大隅から初のセンバツを決めた日、喜界の床次隆志監督はそんな言葉でナインに檄を飛ばした。あれから1年、大島が21世紀枠でのセンバツ出場を決めた。72年夏に大島工、徳之島が初めて甲子園を目指す挑戦を始めて以来、42年目で実現した「奄美から甲子園」の悲願だった。

 21世紀枠の規定は「恵まれない野球環境の克服、文武両道の実践、積極的な地域貢献活動など他校の模範となる学校」となっている。今回、選考会で大島のプレゼンを担当した県高野連の佃省三理事長は「総合的に21世紀枠の基準に叶っていたのではないか」と大島が選出された要因を話す。

 選考会のプレゼンの中で佃理事長が強調したのは「離島のハンディの克服」だった。練習試合の相手が少ないこと、公式戦に出場するためには宿泊費などの負担がかかること…数々のハンディを克服し、昨春、秋と県大会で4強入りし「甲子園に手が届くほどの力をつけてきた」(佃理事長)。加えて10年の奄美豪雨災害時の復旧活動や、奄美群島が世界自然遺産登録を目指す中で、海岸の清掃活動などの地域貢献活動にも積極的に取り組んだことも、評価の対象だった。

 「60年前の本土復帰の頃も含めて、いろんな人の想いが届いたのではないか」と佃理事長は言う。奄美の「高校野球」は軟式の時代が長かった。大島に硬式野球部ができたのは72年夏。当時のエース前里佐喜二郎さんらが「最後の1年はどうしても硬式をやって甲子園を目指したい」と硬式への移行を部員数人で校長に直訴した。夏休みに土木作業などのアルバイトをして部費をねん出し、自分たちでつるはしやスコップを持ち込んで安陵グラウンドを整備し、硬式野球部が産声をあげた。「42年前、こんな日が来ることを思い描いて野球部を立ち上げた。我がことのようにうれしい」と前里さんは喜ぶ。

 奄美で野球に携わってきた人すべての「想い」を胸に、大島がセンバツに挑む。これまで県大会に出場すること自体が、宿泊を伴う遠征だった。奄美勢にとって「ハンディ」だった遠征を豊富に経験していることも、甲子園の戦いでは「アドバンテージ」に変わる力を秘めている。昨秋、鹿児島玉龍にサヨナラ勝ちし、樟南に打ち勝った「大高旋風」が甲子園でも吹くことを期待している。
 (政 純一郎)

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