第55回富山丸戦没者慰霊祭

第55回富山丸戦没者慰霊祭

悲しみの海を見つめる慰霊碑に参拝する第55回富山丸戦没者慰霊祭遺族団=20日午前、徳之島町亀徳

礎(いしじ)を見つめる元全国遺族連合会会長の川南廣展氏(82)=東京都=ら遺族

「原点戻って、平和の尊さ後世に」
悲しみの海に祈り 徳之島町

 【徳之島】第55回富山丸戦没者慰霊祭が20日、各県の遺族団65人と地元徳之島町の関係者ら合わせ約100人が参列して慰霊碑のある同町亀徳なごみの岬公園であった。遺族らは将兵・乗組員合わせ3874人が犠牲となった悲劇の海を見つめる慰霊碑の前にたたずみ、鎮魂の祈りを捧げながら不戦・恒久平和の誓いも新たにした。

 輸送船「富山丸」(7500㌧級)は太平洋戦争中の1944(昭和19)年6月29日、沖縄への増援部隊と燃料など物資を満載して同町亀徳沖を航行中、米軍潜水艦に撃沈された。轟沈と海上流出のガソリンへの引火で、旅団将兵3724人に船員や船砲隊員を含め3874人が犠牲に。1隻の船としてはタイタニック号や翌年の戦艦大和の沈没と並ぶ第1級の惨事ともいわれる。

 生還者の1人だった三角光男氏(故人)が同岬に慰霊塔を建立して第55回の節目の慰霊祭。今年も70代の子世代を中心に全国8地区・県(関東、高知、徳島、香川、愛媛、大分、宮崎、鹿児島)の遺族団が参加。亀徳港沖では定期フェリー側の協力で海上を旋回しての洋上慰霊祭も。上陸した足で悲しみの海を見渡す慰霊碑に参拝。午後から慰霊祭に臨んだ。

 慰霊祭開催を支え続けている徳之島町の高岡秀規町長は「戦争の悲惨さを風化させることなく、平和の尊さを子々孫々に語り継がねばならない」。参拝団長・大分県富山丸遺族会の羽立征雄さん(77)は、父の戦死当時3歳で、父の匂い・肌の温もりも記憶にない中、残された母との苦難の生活。その母も米寿祝いを予定した2カ月前に父のもとに旅立ったことも報告。

 その上で「私たち遺族はもう一度原点に戻り、戦争がいかに悲惨で残酷だったかを回顧。志し半ばで殉じたご英霊の無念に思いをはせ、残された遺族もいかに苦しんだかも後世に正しく伝え、なお一層、平和の尊さを訴えねばならない」とアピールした。

 遺族団の1人ひとりが白菊を捧げ、涙ながらに追悼のことばを述べて遺族の近況なども報告した。

 引き続き慰霊碑建立と遺族会育ての親の「三角氏顕彰祭」があり宮崎県遺族会の牛島壮吉さん(79)が感謝のことばを述べた。隣接の「疎開船武州丸遭難者の碑」への献花も行われた。