「平和のシンボル」陽光桜咲く

「平和のシンボル」陽光桜。峰田山公園に咲いた二輪の花

故保岡興治氏の肝いり 「奄美を桜の園に」
宇検村の峰田山公園

 2017年11月22日、宇検村で第58回奄美群島地区植樹祭式典が開かれた。その後、峰田山公園で予定されていた陽光桜の植樹は天候不良のため後日行われた。この4月25日に同公園に植樹されている陽光桜の一本に二輪、花が咲いているのを見つけた。

 陽光桜は、「お国のために戦ってこい。またこの桜の木の下で会おう」と、教え子たちを戦地に送り込んだ愛媛県の教師・高岡正明さんが自責の念に駆られ、戦死した教え子たちのために亜熱帯のジャワや極寒のシベリアでも咲くように25年かけて開発した桜だ。

 その後、陽光桜は「平和のシンボル」として世界各地に贈り届けられ、植樹されている国は20カ国にも及び、「平和の使者」として使命を果たしている。

 宇検村の集落や峰田山公園には300本もの陽光桜が植樹されているが、陽光桜を植えようと動いたのは、法相などを務めた元衆院議員で故人の保岡興治氏だった。

 話は4年前に遡る。宇検村出身で保岡氏の父親・武久氏のウグイス嬢を務めたこともある西元廣子さんが、映画「陽光桜」を保岡氏と見たことから急展開。西元さんによると保岡氏は「感動した。奄美も戦地から帰ってこれない人たちが大勢いた。私は愛する故郷のために何かしたいと思っていた。どこででも咲く桜なら、奄美に植えて桜の園にしよう。奄美のような神の島の精神文化を広めよう」と熱く語り、陽光桜を奄美に贈る段取りが一気に進んだという。

 直後に「奄美に陽光桜を植える会」(当時=指宿正樹会長)が誕生、日本さくら交流協会(当時)と一緒に宇検村の峰田山公園、各集落、奄美大島開運酒造など、合わせて300本の陽光桜が村内に寄贈、植樹された。企画観光課観光係の竹下世利人主査は「花が咲いてるんですか。知らなかった」と驚き、30年冬に峰田山公園を調査した際には200本のうち、23本が枯れ、177本が根付いたことを確認したという。そのうちの一本に花がついたということだ。保岡氏の命日が4月19日。同氏の熱い思いが陽光桜に宿ったのかもしれない。

 島には見られない桜の色。優しい色の花が峰田山公園や宇検村集落を彩るのはそんなに遠いことではないかもしれない。

(永二優子)