「奄美三昧in東北!新年鶏飯会2020」から。武虎ちゃん(4歳)を膝に載せているのが里めぐみさん(奥)。左端が内山千亜紀さん、右端前から二人目が戸田由美子さん
新型コロナウイルスは、奄美出身者たちの親睦団体「郷友会」にも深刻な影響を与えている。そうしたなか、みちのくの地で「東北奄美会」を結成し、会長として奮闘している人物がいる。奄美出身の里めぐみさんは、宮城県仙台市で子育ての傍ら、ボイストレーナーとしても活躍している。
古仁屋高校卒業とともに上京した里さんは、音楽活動に10年以上関わった。その間「奄美にいた頃を思い出しては涙し、強いホームシックのまま目の前の課題をこなす毎日を送っていた」。そんなある日、「奄美で一生音楽に携わりながら生きる」と決心。渡米し音楽の勉強をすることに。やがてニューヨークから帰国し、すぐに仙台出身の夫と出会う。「奄美に来てくれるならば」の条件で結婚したものの2013年に仙台で暮らすことになり、15年には、子宝にも恵まれた。ご主人には、「話が違う。奄美に帰る」と何度も訴え、赤子を抱え「家出未遂」を数回重ねたという。翌年「義両親との同居の話をいただき、仙台で生きていこう」と納得。杜の都への移住を決意したのだった。
いざ覚悟を決めたものの、寂しさなどで東北には幸せの条件となる「奄美がない…」と、里さんは嘆きのブログを書き続ける。そこに賛同者が集まり「東北にも奄美会をつくろう!」とホームページを制作。奄美市笠利町出身で、当時宮城県に5年間在住していた内山千亜紀(ちあき)さん(現副会長)との出会いをきっかけに、東北奄美会が発足された。16年10月のことだった。想像以上の奄美ファンからの問い合わせに、3か月後には「第1回東北奄美会新年会」を開催。その後、徳之島出身の戸田由美子さんが会計に加わり、奄美2世や沖縄出身者も実行委員として参加。二人で始まった会も今では約50人に。「奄美愛でまんでぃあふれています」と里さんは、会長として満足げに振り返る。
東北奄美会は、シーズンごとにイベントを企画。「白石川堤一丁目千本桜」での花見会、バーベキュー、芋煮会、仙台で唯一の奄美料理店「きっちん奄美」での鶏飯会…。昨年7月には、奄美市の協力を得て、江陽グランドホテル(仙台市青葉区)で約80人を集めた大ベントを成功させた。参加者からは「遠く離れた東北で、奄美の人とつながれるなんて思ってもいなかった」「早く方言でおしゃべりしたくて、前日は寝られなかった」との感想が寄せられたそうだ。
文化や料理の味付けの違い、雪の多さに慣れるまで数年かかったが、今では「仙台の牛タンや、くせがあるホヤも絶品です」。故郷から千㌔超離れた東北の地に、すっかりなじんでいる。東北奄美会を心のよりどころに、子育てしながらボイストレーナーとして奮闘する里さんは、18年10月に開業した教室をこの5月に、青葉区の本町へ引っ越し。心機一転、精力的に動いている。
コロナ禍により、東京奄美会に所属する各郷友会は、秋の総会・懇親会を軒並み中止にした。東京奄美会の主だった活動も、年内は全て見送られている。11月に90周年記念総会を予定していた神戸奄美会も中止を決定、来秋に先延ばしとなるなど各地の郷友会は、活動停止の状況だ。ある関係者は、これまで400人規模での総会を行っていた会場側から「再開するにしても、同じ広さで、大声を出さず150人くらいで静かにやってほしい」と打診されたと明かしたうえで、こう語る。「飲んで歌って、最後は六調で締めくくる総会・懇親会は開けませんね。郷友会は良くも悪くも3密。それがよかったのですが、これからは会の運営方法が根幹から問われることになるでしょう」と。島の料理が並ぶテーブルを囲み、黒糖焼酎を酌み交わす。余興を楽しみながら久々の再会に、島口での近況報告は、思わず大声に。最後は「六調」の余韻でハグして笑顔で別れる。語り尽くせぬ友らは二次会へ…。ありふれた郷友会の光景は、コロナ禍により、変化せざるを得ないだろう。
東北奄美会も同様に行動は制限されている。里さんは、インターネットでさまざまな人の活動を観察。「別の方面から奄美をPRできんかい?」ち(と)前を向いている。
(高田賢一)