宮畑会長を迎えてのトレーニング風景(円内は黒川監督)
奄美への思いと、登場人物を紹介しながら次の人にバトンをつなぐ「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は戦う!」の第15回。トレーニングジム会長の宮畑豊さんの紹介で、東京学館船橋の野球部監督・黒川敏行さんが登場する前編。(東京支局・高田賢一)
宮畑さんを通じ、大ファンの長渕剛さんとも交流。
「16年前、トレーニングのため訪れたジムで宮畑(豊)会長と初対面。その時『甲子園に行く手伝いをしたい』と、何かを感じたように言われたのです。その際、長渕剛さんの大ファンだと話したところ3日後に、会わせていただき食事の場にも同席させてもらいました。ライブにも何度かご一緒しました。おごらず、人を疑わない。とにかく、卓越した行動力には、驚きましたね。子どもの頃、夢中になった腕相撲の番組がありました。そこでレフェリーをしていた方の友人が宮畑会長です。私がその方のジムに入会したことで、宮畑会長を知りました。そんなボディビルのカリスマに偶然会えたのも、何かの縁でしょう。以来、奄美の出身者たちの会に呼んでいただいて、奄美の大ファンとなりました。池田高校の蔦文也監督(故人)とも懇意と伺っております。高校野球に革命的な変化をもたらした『やまびこ打線』の陰に、会長のトレーニングがあったと想像できますね。エースだった水野(雄仁)さんは、ジャイアンツに入っても、御徒町のジム(トレーニングセンター・サンプレイ)を訪れていたので間違いないでしょうね」
スカウトする予定の中学生が、21世紀枠で島初の甲子園出場。
「宮畑会長から、奄美に素質のある中学生がいると紹介されましてね。うちには寮もないし、大した設備もないので難しいと申し上げながらも、彼(泊慶悟さん)の映像を見たのです。野球に対する姿勢がとても素直で、大いに興味を持ちました。本格的に獲得を考えたのですが、台風に巻き込まれ奄美を訪れることがかなわなかった。その彼が大島高校の選手として、2014年に21世紀枠で甲子園へ出場。会長とともに応援しました。高校1年のセンバツ以来、久しぶりに味わう甲子園。微力ながら寄付もさせてもらいました。もし、あの時、台風が来なくて私が面倒を見ていたら、彼の甲子園出場はなかったでしょう」
奄美未経験ながらも、料理などで奄美を実感。島の球児たちにもエール。
「奄美にはまだ行ったことはありませんが、島出身者たちに触れ合い、指笛と踊りは何とかできますよ(笑い)。奄美は、きれいで人が良くて、酒が強い、そんなイメージがありますね。私は酒が強い方じゃないけれど、どういうわけか黒糖焼酎だけは飲める。それと、あの小さな島に、あれだけの素質を抱えた球児らがいるんだと中学生の映像から見て取れます。癖もなく、ナチュラルに野球に取り組んでいる姿は、一昔前の高校野球を彷彿させてくれます。豊かな自然の中で、のびのびと取り組める環境も大いに関係しているんじゃないかな。テレビ画面から伝わる、彼らのはつらつプレーが、私の聖地への思いを新たにさせてくれたのです」
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黒川敏行(くろかわ・としゆき)1965年9月7日千葉県生まれ。82年千葉商大付の選手としてセンバツ大会出場。88年に東京学館船橋赴任。商業科目の教師。同校野球部のコーチ、部長を経て監督になって26年目。選手の個性を伸ばす指導方法に父母の信頼も厚い。理想のチームは、蔦監督時代の池田高校。