デビュー作はキネマの神様 古仁屋出身の房プロデューサー 下

撮影を行った「東宝スタジオ」で話をする房さん


東劇の壁面を飾る『キネマの神様』

いろんな感情が押し寄せ何度も泣いた
志村さんが向こうできっと喜んでいる

 松竹映画100周年記念作品『キネマの神様』(山田洋次監督)が、いよいよ8月6日からロードショー。「山田組」で初プロデューサーを務めた房さんへのインタビュー2回目。

 ◎志村けんさんへの正式オファー

 『キネマの神様』の主役は志村けんさん。実は業界では有名な話だが、映画『鉄道員(ぽっぽや)』に、ワンシーン登場した自分の芝居を見た志村さんは「二度と映画には出ない」と公言していたという。山田監督は喜劇人としての志村さんをとても評価していた。様々な人脈を駆使し、正式オファーしてから口説き続け「OK」の返事をもらったのは約10カ月後だった。

 「志村さん自身、松竹100周年、そして山田組ということで早めに気持ちは固まっていたかもしれないが、相当な不安があったようです。テレビの現場とは違う撮影スタイルに耐えられるかどうか、1カ月以上の役者としての体調管理についても不安を抱いていました」。志村さんや事務所とやりとりを繰り返した房さんは、志村さん側の不安を取り除くために早めに山田監督、メインスタッフとの顔合わせをセッティングした。そして、20年2月から本読み、衣装合わせ、カメラテストと順調に準備を進めた。同年3月1日に菅田将暉さんが演じる過去パートのクランクイン。

 しかし志村さんは出番が近づく中、倦怠感を覚え3月20日に入院。志村さんの撮影入りを急きょ遅らせた。26日に監督やスタッフ、菅田将暉さん、永野芽郁さん、野田洋次郎さん、北川景子さんで全員集合して「アイーンのポーズ」の写真を撮り、病室に飾って欲しいと事務所に届けた。

 ところが、その日のうちに事務所から降板の意向が伝えられる。そして3日後には訃報が日本中を駆け巡った。「退院して撮影に戻ってくると信じていた。志村さんのこの映画に対する想いを知っているだけに辛い。何度もキネマの神様の存在を疑って泣いた」。

 ◎沢田さんが演じることに好反応

 泣きながらも、「この映画がもし完成しなかったら一番悲しむのは志村さんだ!」と言い聞かせ、房さんは、すぐに代役を探し始めた。この時、妻の森本千絵さんと義父(かつて沢田研二さんのマネージャー)の2人の力を借りてオファーをした。

 沢田さんは旧友の志村さんの訃報にショックを受けながらも覚悟を決めてくれた。「監督、スタッフ、キャストがまた前を向いて撮影再開の準備を始めた」。沢田研二さんの代役発表時には「その手があったか」と、テレビやネットで大きく取り上げられた。志村さん死後四十九日目のことだった。

 沢田さんに決まった後も、20年4月・5月の2カ月は、緊急事態宣言により撮影中断となる。その間、監督は「現在起きている前代未聞のコロナ禍を、しっかり描かないとウソになる」と脚本直しに余念がない。合わせて、志村けんさんから沢田研二さんへ変更となった主役のイメージも少しずつ変えていく。役者や撮影所のスケジュール、予算の心配。「いつ、撮影を再開できるのだろうか…」と房さんは気をもむ。不安とずっと背中合わせだった。

 それでもようやく6月の緊急事態宣言明けから撮影再開。7月にワンシーンを残しての撮影が終了した。その後編集作業へ。12月に北川景子さんの出産を待って撮り足したシーンをはめ込み、翌21年2月26日に完成した。

 試写を見て、また泣いた。悲しいだけではない。うれしくて泣いた。「3年間のいろんな感情がうごめき、なんどもなんども涙が流れた。人生でこんなに泣いたことはない」「天国で志村さんもきっと喜んでくれているはず」。

 しかし、まだコロナの猛威は衰えることなく、緊急事態宣言が発令され、すでに公開延期になっていた4月16日から8月6日への再延期が決まった。

 ◎完成は奇跡

 アクシデントは重なったが、房さんは言う。「この状況で完成したのは奇跡。一度は疑ったキネマの神様の存在を感じた。今までにない、みずみずしさ漂う山田監督作品をプロデュースできました」と胸を張る。予告編動画には、「何度だって奇跡を起こそう。この物語を届けるために」。房さんが何度も話したフレーズだ。10人以上の主演経験者が出演の注目作、そして主題歌「うたかた歌」は、出演者でもあるRADWIMPSの野田洋次郎さんが作詞作曲、そこに主演の菅田将暉さんが加わり奏でる。これも房プロデューサーが仕掛けたプロジェクト。「志村さんへの思いも詰まった素敵な歌」だと説明した。8月6日、公開迫る。