世界自然遺産登録について意見を交わし合う、大江会長(左)と川村さん(右)
【東京】テレビ朝日系の情報番組でもおなじみのジャーナリスト・川村晃司さんと東京奄美会・大江修造会長が対談した。互いに島にルーツを持つ周知の二人とあって、熱いトークが展開された。島との関わりや「世界自然遺産登録」について語る前編を届ける。(東京支局・高田賢一)
◆北と南にルーツ
大江「東京奄美会賀詞交歓会(今年1月19日)は、お疲れさまでした。川村さんのルーツは、どちらになるのでしょうか」。
川村「いえ、こちらこそ。私の母親は名瀬市の金久生まれで、名瀬尋常小学校に通っていたらしい。祖父は笠利生まれで、若林という姓でして、金久の近くの十字路で『とらや』という種を売る店の娘であった祖母と結婚して生まれたのが、私の母でした。その後、母は祖父母と共に大分経由で広島へ移り、そして広島で大島紬の卸商で生計を立てていきます。一方、私自身の父親は青森出身ですが、満州へ出兵する際に、広島で待機していました。その時に、母親と出会うのです。結婚した時は、奄美から親戚の人たちがお祝いに駆け付け、島の祝唄などを唄ったと聞いております」
大江「北と南、偶然にしては興味深い出会いですね」
川村「奄美本土復帰60周年を記念した講演会を鹿児島県から依頼された際に、恵原義之さんとご一緒になり、祖父の若林家のお墓にたどり着くことができたのです。祖父の母(曽祖母)の墓を笠利で見つけ、若林家が続いていたのを確認できました。また、同じくパネリストでご一緒したのが、奄美の寅さんと呼ばれる方でした」
大江「それは、笠利出身の花井恒三さんだと思いますね」
川村「そうです。その花井さんに奄美の歴史を教えていただき、各所を案内されまして、私のルーツを確信できました。奄美生まれで広島から青森へ嫁いだ母は、初めて雪下ろしを体験することになるのです」
大江「戦争が北と南の人の絆ともなったわけですが、川村さんは奄美の人たちをどう感じましたか」
川村「一度知り合い、黒糖焼酎を飲んだりすると互いに深く意気投合する。それは津軽の人にも共通すると思いますよ。ただ、私には津軽弁は、奄美の言葉より難解です(笑い)」
◆自然遺産の可能性と課題
大江「世界自然遺産登録をどう見ていますか」
川村「世界自然遺産登録は、私の後輩で同僚だったテレビ朝日OBが鹿児島県知事をしているので、なおさら気になることですが、鹿児島県限定でアピールした方がいいのかな、という印象を持っています」
大江「なるほど。それは、登録の対象を鹿児島県にしぼるということでしょうか」
川村「そう。自然を守り、後世に伝えていくというのは、あまり観光化されないことが大前提だと思うのです。ただ、その関係で屋久島が既に世界自然遺産であるために、鹿児島県で二つというのは難しいとの判断があり、沖縄とつなげて何とか登録に結び付けたいとの思惑があったのか。そのあたりは、どのような仕組みだったんでしょうね」
大江「そうですね。残念なのは、龍郷にある浦の橋立という自然を生かした、人工遺産があるのですが、一連の報道の際にも全然触れることがないのです」
川村「観光的にも、奄美と徳之島だけでも登録には値すると思いますね。屋久島よりも先に登録されてもよかったのでは、とも思いますよ」
大江「その辺のことを、1月1日の奄美新聞で外来種の対策などの現状を詳しく取り上げていました。それを読むと果たして大丈夫なのか、との疑問もわいてきましたね」
川村「オーバーユースも問題ですね。地方の在り方のモデルが問われている。屋久島の現実。一方、小笠原などは、地域の広がりがある。それらのいい面、悪い面を参考にしてみてはいいのではないでしょうか。登録された場合、どういうポイントでどこが見られ、どれくらいの日数がかかるのか。定期的な観光ルートの確立も望まれます」
大江「ところで、川村さんの座右の銘などはありますか」
川村「ポリシーは取材現場で見たこと、確認したことを一番大事にしている。ですから、あえて言うなら、一日一生涯ということになるでしょうか」
大江「故郷・奄美での忘れられない味などはありますか」
川村「やはり鶏飯でしょうね。上皇后美智子さまが、皇后時代に奄美に来られた際に、鶏飯を食べられておかわりをされた。その時発せられた言葉が我々の間でも話題になった」
大江「何とおっしゃられたのでしょうか」
川村「『いま一度』と言われたそうですね」
大江「いま一度とは、庶民には思いもつかないですね(笑い)」
■メモ
川村晃司(かわむらこうじ)1950年青森県生まれ。早稲田大学卒業後、日本教育テレビ(現テレビ朝日)へ入社、報道番組ディレクターを中心にカイロ支局長、ニューヨーク特派員など歴任。コロンビア大研究員も経験。豊富な取材経験を生かし、コメンテーターとして活躍している。
大江修造(おおえしゅうぞう)1938年東京生まれ。両親とも龍郷町の出身。東京理科大卒業後、石川島播磨工業(現IHI)に入社、東京都立大学院にIHIより国内留学し、工学博士号を授与される。東京理科大教授などにも就任。専門は蒸留工学。論文・専門著書多数。2018年より東京奄美会会長に。