今をどう生きる?

馴染みの客と談笑する三代川さん(右)

「自分の筋」はしっかり持っておきたい!
三代川さん(大和村出身)の場合

 大和村出身の三代川みどりさん=写真=が「おにぎりと丼 三代川(みよかわ)」を鹿児島市荒田の今の場所に移転を決めたのは約1カ月前の3月の頃だった。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって人通りも少なく、思い描いたような売り上げには届いていない。だが「こんな時だからこそ、自分の筋はしっかりと持っていたい」と自然体で店を切り盛りしている。

 元々、今の場所から近いところで同じようにおにぎりや丼、お総菜などを販売する店を経営していた。現在は鹿児島大から騎射場の電停に向かう大通り沿いにある。学生の昼食などの需要を見越して、前の店舗ではなかったイートインのスペースもある今の場所への移転を決めた。

 大学は「開講」したが、授業はネット回線を利用した遠隔授業。学校に人が集まることもなく当ては外れたが「決断力が早くて、やると決めたらすぐ行動に移すタイプ。私のことを知っている人は『あなたらしいね』と言いますよ」と笑う。

 大和村の国直集落で6歳まで過ごした。小学校からは父の仕事の都合で鹿児島市に引っ越したが、高校入学を機に再び島に戻った。「最初は田舎に戻るのが嫌」だったが3年間、奄美高校に通って「あの頃が一番輝いていた」と思えるほど楽しい日々を過ごした。

 オイルショック後のフォークソング全盛時代。「日曜日は私の家でLP版のレコードをみんなで聞いて盛り上がりました」。卒業後は東京で就職。都会での同郷者同士の結びつきが強かったのはもちろんのこと「自分らがいなくなった後でも、親同士の交流がずっと続いた」ことに奄美ならではの地域の絆を感じた。

 昨年11月には還暦を迎えた奄高同級生の同窓会が奄美市で大々的に開催された。「暦」を一回りした仲間たちが約170人集まった。「還暦にみんなで集まるのは他の時と意味が違う」と思った。「次会う時はもっとしっかりしていよう」と思うきっかけになった。「こんな大きな集まりじゃなくても、毎年定期的に集まろうね」。そんな約束を多くの同級生とかわした。

 お客の入りは思い通りではない。だが「お金のことは後でどうにでもなる。移転するかしないかは迷うところだったけど、迷って何もしなかったら具合が悪くなってたかも」と苦笑する。右か左か「右を選んだら、そっちが正しいといえるように」トコトン頑張るのが性分だ。幸いなことに前のお店のお客さんがこの場所を探して訪ねてきてくれることもしばしば。カウンター越しに長話をするのが楽しみで仕方ない。

 コロナを機に「生き方を見直す時期がきたのかもしれない」と思う。かつて仲が良いと同時にライバル心も強かった同級生への接する気持ちも変化しているのを感じる。グループLINEのやり取りは「お互いの親の介護や、自分の終末を考える」内容が多くなった。

 3、40代に比べれば、残された時間が少ないからこそ「やりたいと思ったことは何でもやって、充実した時間にしたい」気持ちが強くなった。大切にしたいのは「自分の筋」。先行き不透明な時代だが、その軸の源になった「故郷・奄美に年1回は帰ること」にはこだわりたいと考えている。
   (政純一郎)