復帰運動の記憶を次代に

復帰運動を成し遂げた先人の偉業をたたえ花を手向ける出席者たち

67周年、記念の日のつどい コロナで縮小開催
奄美市

 奄美群島の日本復帰(1953年)から67年の25日、奄美市名瀬の奄美市役所大会議室で「日本復帰記念の日のつどい」(同実行委員会主催)があった。この日は新型コロナウイルス感染症防止の観点から規模を縮小し、関係者のみで実施。出席者らは無血の民族運動を成し遂げた先人の偉業をたたえて花を手向けるなど、復帰運動の記憶を次代に伝える決意を誓った。

 今年は、新型コロナウイルス感染症防止の観点から数百人規模が参加する復帰運動発祥の地とされる名瀬小校庭での開催を取りやめ同庁舎で実施。出席は関係者約60人にとどめ、会場の様子はオンラインで生中継された。

 名瀬中2年の盛こころさんが司会を務め式は開会。献花台に花を手向けた出席者らは、全員で「日本復帰の歌」を斉唱した。

 朝山毅市長は主催者を代表し「67年前、先人たちは一致団結し復帰を成し遂げた。当時の記憶、意思などを後世に引き継ぐことは我々に課せられた責任だ」とあいさつ。名瀬小6年生による「断食悲願朗読」が、録画映像で放映された。

 生徒代表の金久中2年の有田翔海=うみ=さんは壇上に立って「(自分たちでも)記憶や記録をたどることで先人の苦難や喜びは想像できる。先人への感謝を忘れず、未来のために語り継ぎたい」など感想を発表。最後は日本復帰祝賀の歌「朝はあけたり」を斉唱し、万歳三唱で締めくくった。

 奄美群島は終戦後の1946年(昭和21年)2月2日から53年の12月25日までの約8年間、日本から行政分離され米軍の統治が行われた。

 本土への渡航は厳しく制限され、食料や物資不足で人々の生活は困窮。勉強するための教科書すらないという苦しい状況が続いた。

 日本復帰を願った群島民は「復帰運動の父」と呼ばれる泉芳朗氏を中心に島民一丸での運動を展開。無血での祖国復帰を成し遂げた。